リベラルや共産主義は国際金融資本家の代理人
非常に重要な点なのですが、日本の左翼、つまり、リベラルから共産主義者までは、国際金融家の代理人だと。
日本共産党だって、そんな事は夢にも思っていないんですが。
実際、彼らから見れば、そうだという事なんです。
こちらから見れば、そうじゃないと思っていますね。
リベラルのかたわ、私は人権派だとか、弱者の味方だなんて。
それはそうなんですが、しかし、海の向こうから見れば、自分たちの代理人といいますか、代弁者だという事になるわけですね。
その事に気づかなければいけない。
昔から、右翼、左翼とか、保守とか革新とかありましたけれども。
左翼とか革新というものは、実は、左翼でも革新でもなんでもなくて、ウォールストリートだという事なんです。
この逆説に気づけば、日本の言論界を含めて、ガラッと変わります。
日本のメディアや労働組合は、左翼的というか、革新的な事を言っていると自称しているんですけど、でも、あなたたちが言っている事は、ウォールストリートが言っている事じゃないかという事なんですよ。
そういう事が分かれば、日本社会の、分断まではいっていませんが、余計な雑音というのは無くなるんだと思います。
ですから、今、残念な事に、財界で、経団連なんかはそうですけれども、TPP、TPPって言っていますよね。
そういう人たちは、自分が共産主義者だとは、思ってもいないんだと思います。
グローバリストだとは、思っているかもしれませんがね。
でも、グローバリストと共産主義者は、根は同じなんだという事を、訴え続けて行きたいと思うのですが。
経団連も、要するに、渡部昇一先生的にいえば、戦後利得者ですね。
経団連のかたに、南京大虐殺というのは無かったんですよ、という事を説明したら、明らかに不快な顔をされましてね。
そんなはずはない、という事で。
つまり、日本の財界のトップクラスのかたですら、そうなんですね。
財界のトップクラスであるが故に、そうなのかもしれませんけれども。
実に不思議な現象ですね。
だから、中国とビジネスをする為に、当時は、小泉総理でしたけれども、靖国参拝をやめてください、なんて、それこそ当時の経団連の会長が先頭になって、そういう陳情をやったわけでしょ。
残念ながら、そういう方たちは、何も分かっていない。
何も分かっていないなんて言ったら、失礼なんですが、中国でビジネスをするには、8月15日に、総理が参拝してくれたら、やりやすくなりますよ。
これは、逆説的ですけどね。
ヘコヘコしているから、いつまで経っても、中国との関係っていうのが、正常化しないんです。
私は、中国人は、立派な国民かどうか分かりませんが、立派な人達だと思っていますけどね。
だけれども、全く日本人は、多くの人は、中国人を誤解している。
中国が気に入るようにやっていれば、日中関係はよくなると思っている人が多いですね。
自民党の一部の政治家も含めてね。
でもそれは、全く逆なんです。
私は、中国のエリートの知り合いは少ないんですけれども、同じ共産主義国のソ連時代の経験から言えば、ヘラヘラする人が、一番、軽蔑される。
オモテでは、やぁやぁと言って、握手してくれますよ。
だけれども、つまり、自説を持っていない人、そういう人は、人間のクズだと思っているわけですよ。
当時のソ連のエリートというのは、立派な人がいましたよ。
おそらく、今の中国のエリートも、日中友好、日中友好という人は、心の底で、馬鹿にしていると思います。
それに気付いていない日本人は、本当に、おめでたいなと思いますね。
つまり、日本と中国というのは、全く違う文明に属しているんですね。
皆さん、ご存じのとおり、何も日本は、中国から文明を分けて貰ったわけでもなんでもない。
日本は独自の文明を育てて来たんです。
だって、中国人と全然違うでしょ。
発想からなにから。
韓国人とも、全くと言っていいほど違う。
それを、日本と韓国は価値観を共有しているなんて、とんでもない。
全然、共有していないですよ、日本と韓国は。
それはまさに、冷戦時代の名残ですね。
資本主義陣営だったという事だけですがね、全然、韓国人と日本人は、価値観が違います。
むしろ、韓国人は、中国人の方に近い。
彼らは、合うんです。
なぜかというと、個人主義だからです。
自分中心主義ですね。
こういう言い方をしたら悪いかもしれませんが、徹底した個人主義なんですよ。
中国人もそうだし、韓国人もそうです。
日本は違うんですね。
日本は、戦後、個人主義を持ち込まれて、今、学校でも、個性を作る教育なんて言っていますよね。
あれは、無理だと思います。
個性は作るもんじゃないんです、あるもんなんですね。
持っているもんなんですよ。
各人が個性を持っている。
個性を作る必要なんかない。
自分が、他人には無い個性を持っているという事を、気づかせる教育をする事が本来の教育であって。
それを、個性を作るとかね、他人とは違うという事を際立たせるとか、自己主張するというのが個人主義だと。
困ったものですね。
学校教育でまずやるべきなのは、日本の神話を学ぶことだと思うんですが。
どうも、結局、戦後のわけがわからない、日本を否定していればいいと。
大雑把にいいますと、アメリカがいうような事をやっていればいいんだというような。
それが、ずーっと尾を引いていて。
国際人になれ、なんていう教育をやれ、っていうわけですね。
びっくりするでしょうね。
例えば、皆さんが、外国に行かれて、「あなたは誰ですか?」と聞かれて、「私は国際人です。」なんて言ってたら、誰も握手してくれないですね。
「私は日本人だ。」って言ったら、「そうか。」と言ってくれるわけです。
でも、「私はグローバリストです。」とかね、「私は地球市民でございます。」とか、「私は国際人です。」と言ったら、誰も相手にしてくれません。
そんな、訳の分からない、無国籍の、でらしねみたいな人はね。
「私は日本人だ」とっいって、初めて向こうは「そうか」と、向き合ってくれるんです。
これは、私の経験から言ってもそうですよ。
だから、国際人を作る教育なんて、本末転倒していますね。
まず、日本人を作りなさいと。
そうしたら、自然に国際人になれるんですよ。
国際人なんて言葉を発明するのがおかしい事でね。
そういう国際の場に出て、日本をちゃんと説明出来る。
そういう人が、国際人なんでしょうね、敢えて言えば。
だから、そういう事から、今の日本の教育、英語教育も含めて、問題というのは出て来るのですが。
例えば、ウクライナでは、独立して20年ですが、自国の国語教育というものを、もの凄くやるんですね。
毎日、徹底的にやる。
私がたまたま、小学校5年生の時になって、初めて外国の文学を学ぶのですが、そこで、日本の松尾芭蕉について学ぶんですね。
そういう話を聞いて、私はウクライナの小学校5年生の国語の教科書を取り寄せました。
そうしたら、びっくりしましたよ。
3冊あるんですが、つまり、ウクライナ語、日本語で言えば、現代文。
それから、文法。
そして、3冊目が外国文学。
全部、800ページあるんですよ。
教科書がですよ。
3つ足すと、2400~2500ページ。
小学校5年生で、こんな教科書を使っている。
それで、例えば、日本をどのように教えているかというと、もちろん松尾芭蕉を取り上げているのですが、松尾芭蕉について説明があるんですね。
松尾芭蕉の隣くらいに、ゲーテについての説明もありました。
ゲーテについての説明は、3ページしかないんです。
松尾芭蕉には、9ページ割いて、説明しているんですよ。
そして、難しい松尾芭蕉の俳句を、小学校5年生で勉強しているんです。
みなさんも、「古池や 蛙飛び込む 水の音」とかね、「五月雨を 集めて早し 最上川」ですか。
そういうのは、ご存じでしょ。
でも、こういうのはご存じですか。
「うらやまし 浮世の北の 山桜」
「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」
「花ざかり 山は日ごろの あさぼらけ」
「田や麦や 中にも夏の ほとゝぎす」
こういう句が、18句あるんですが、ウクライナの小学校5年生が勉強をしているんですよ。
松尾芭蕉の句だって言って。
松尾芭蕉の作品を通じてですね、日本人にとって自然は、インスピレーションの源であり、日本人は自然の描写によって己の信条を表現する。
日本人は、平凡さの中に、美を見出し、精神性と物質世界との調和を大切にする、なんて、見事にポイントを捕らえている。
そういう事を学んでいるんですよ。
私が強調したかったのは、精神性と物質世界との調和を大切にするという。
それが、私が、グローバリズムに反対している理由の一つなんです。
日本は、グローバリズムと合わない。
つまり、精神性と物質世界とのバランスというものが、日本にとっては大切なんです。
これに合わないのは、なんかおかしいと感じるわけですね。
だから、共産主義はおかしいんです。
共産主義は、唯物論ですからね。
精神的なものを認めないんです。
だから、国際人なんていう教育をする事は、全く、本末転倒だという事を言いたかったわけですね。
日本の経団連のかたが、戦後思想に、染まっていると申し上げましたけれども、今、残念ながら、1985年の、プラザ合意 以降、日本の経営者の倫理観が落ちましたね。
この間、聞いてびっくりしました。
某赤字企業ですよ、世界的な日本の赤字企業の社長の年俸が、10億円。
おかしいですね。
某テレビ局の会長さんは、8億円だと。
どういう事ですか、これは。
日本も昔は、一億総中流とか言われました。
本当に、格差の無い社会でしたね。
もう今は、格差社会になってしまった。
つまり、日本の経営者は、残念ながら、自分の懐を肥やす事を考えてしまう。
という事は、逆に言えば、社員の利益でもない、ましてや、日本国民の利益でもない。
日本国民の利益なんて、考えていないんです。
だから、TPPなんかで、こういう日本の大企業、多国籍企業と言いますが、私はむしろ無国籍企業だと言っているのですが。
そういう人たちが何を考えているのかというと、自分たちの利益をどうやって守るか、という事ですよ。
あの人たちが考えているのは。
だから、経団連がTPPを推進するのは、もの凄く注意しなければいけない。
自分の会社が、儲かるかどうかだけです。
それは、日本国民が儲かるかどうかではない。
日本国民の健康が守られるかどうかではないんです。
自分の会社が、ビジネス出来るかどうかですよ。
つまり、残念ながら、全てとは言いませんが、多くの経営者のかたが、そうなってしまった。
もう一つ理由がある。
それは何かというと、海外立地した事なんですよ。
これは皆さん、意外に思われるかもしれませんね。
私の友人で、パナソニックで働いているやつに、なんで中国に行くんだって聞いたら、周りが行くから行くんだって。
中国になんか行ったら、身ぐるみはがされるぞ、なんて、冗談交じりに言っていたのですが。
だんだん、そうなりましたね。
なぜかというと、さっき、松尾芭蕉の所で、ウクライナ人が、見抜いているじゃないですか。
日本人は、物質と精神のバランスを大切にすると。
だから、我々の物づくりの精神って言われますね。
それは、このバランスなんです。
例を挙げますが、私の氏神様は、品川神社なんですが。
品川神社に、月に1回お参りしていますと、包丁塚というのがあるんです。
あそこは昔から宿場町で、沢山料理をして来ているんです。
だから、生き物を殺生してきているわけですね。
それと、刃が欠けて、ボロボロになった包丁。
包丁がボロボロになったからと言って、日本人は捨てないんですよ。
ちゃんと、感謝の意を込めて、霊を慰めるといったら、ちょっと大袈裟かもしれませんが、魂を洗う事ですね。
やっぱり、我々にとってこういう物は、単なる物じゃない。
そこに魂が吹き込まれているっていうんです。
たまたま私の知っている人で、ウクライナの最大の日刊紙の編集長さん。
日本に招待したんですね。
彼女は、2週間、日本を自由に見て回って、最後に、日本の印象記を、自分の新聞に書かれたんですが。
それを読んで、感心した事があるのですが。
沢山あるのですが、一番、関心した事は、
「日本滞在の最終日、日本で何が一番気に入ったかと問われ、日本人と答えた。なぜなら、日本にある素晴らしい物は、日本人の手で作られたばかりではなく、日本的な精神が宿っているからだ」と。
これで、締めくくっておられるんですね。
日本の製品には、作った人の精神が宿っていると。
例えば、パナソニックの製品でもいいですよ。
メイドインジャパンのパナソニックには、日本人の精神が宿っているんです。
ところが、メイドインチャイナのパナソニックには、残念ながら、それが無いんです。
だから、パナソニックの国際競争力は、落ちるはずですよ。
だから、アベノミクスですか、本当に成功させるんだったら、日本企業を、日本に回帰させなさいと。
だから、人件費が高いとか、そういう問題じゃないんです。
その作る製品に、魂を吹き込む事が出来るかどうかの違い。
魂を吹き込めれば、日本の家電製品でも、世界に羽ばたきますよ。
日本人にとって、物づくりというのは、単に物質的な物を作るんじゃないんです。
そこに自分の精神を、魂を打ち込む事なんですね。
だから工員さん一人一人でも、流れ作業をやっていても、出来たものが違ってくるんです。
なぜこれに気づけないのかと。
気付けないんじゃない、なぜこれを忘れてしまったのかという事です。
今の日本の経営者は。
それで、安い労働力ばかりを求めて、外国に行く。
挙句の果ては、デモに会ったりして、そういう状況になるだけですよ。
これから、ますます、中国も、その他の国も、環境は悪くなりますね。
経済環境は。
世界的に不況というか、経済不況の時代を迎えていますから。
そこへ、これからまた、日本は電力料金が高いから海外に行くなんて、とんでもない発想ですね。
海外に行ったら、今は電気が安くても、いずれ、電気が来なくなるかもしれない。
日本はそういう事は、朝野を上げて、防ぐ国でしょ。
そういう所に、心が向かなくなった、経団連はやっぱり、参議院選挙の敗者なんです。
日本は、絶対に、海外に進出しても成功しません。
それは別に、海外の労働者が悪いんじゃない。
発想が違うんですよ。
日本人は、日本人としてしか生きていけないんです、世界で。
最初に申し上げましたが、地球市民としては、日本人は生きられない。
それは、どこの国民もそうですよ。
地球市民としては、生きられない。
みんな、アメリカ人はアメリカ人として、ロシア人はロシア人として、日本人は日本人として、国際的な場で生きていけるわけです。
それを基に、相手と、どういうふうに理解し合えるか、というのが、本来のやり方であって。
国境を無くして、みんな地球人になって、仲良くしましょうという事は、全然、仲良くなれないという事ですね。
そういう事に、残念ながら、一番重要な、学校の先生方が、気づいておられないんじゃないかという事ですね。
要するに、私は何度も言いますが、グローバリズムに反対なのは、物質至上主義だからなんです。
金権万能主義で、お金にならないものは、存在できないという主義だからなんです。
これは、日本人の勤労観に合わないんです。
日本は、各人が分を尽くす。
自分の個性を発揮して、分を尽くす事によって、社会の調和が達成されると。
会社は、精神修行の場でもある。
昔はそうだったんですよね。
だから皆さん、中小企業の、勤務環境は必ずしも良くない中でも、いとわずに働いたわけですよ。
残業代が払われなくても。
それは、一つのネジを正確に作る事が、自分自身の魂を磨く事と同じだったわけです。
だから、結果的には、そのネジの一つ一つに、日本人の魂が刻印されたわけですよ。
だから世界に通用する。
アメリカの飛行機だって、今や、日本のネジが無いと出来ないんですよ。
日本のそういう部品が無いと、飛ばないんです、アメリカの飛行機も。
だから、簡単です。
日本の勤労観、経済観の源流である、みむすびの精神に戻ればいい。
物づくりの精神です。
物づくりの精神というのは、単に一生懸命、物を作るんじゃない。
その製品に、魂を刻印する事が、日本人の物づくりの精神なんです。
つまり、ウクライナの学校でも教えているように、日本人にとって経済活動とは、物質と精神が共存しているんですよ。
日本人の経済観というのは、そうなんです。
だから、世界第二の経済大国まで、奇跡の復興を遂げる事が出来たんです。
これからの、日本の生きる道というのは、はっきりしているわけです。
世界貿易も縮小するでしょう。
だけれども、日本はやっていけると思うのはなぜか。
日本に物づくり精神があるからです。
これが無くなったら、日本はただ、労働力の安さだけで、勝負しなければならない。
そうしたら、負けますよ。
アフリカにも、最終的には負けますよね。
南極には人がいないかもしれないけれども、ちょっとでも安い労働力を求めていったら、それは負けますよね。
そういう競争になる。
でも、そういう競争でいいんだっていうのが、グローバリズムなんです。
そこに気づかなければならない。
我々は、もうはっきりと、グローバリズムにノーと言わなければいけないんです。
私達は勤労観が違いますと。
物だけじゃないんです。
物にも実は、魂が入っていると考えるんです。
だから、もったいないんですよ。
みなさんもそうでしょう。
古いものを、そんなに簡単に捨てられないんです。
それはもったいない。
ケニアのなんとかという女性が、ノーベル平和賞を、もったいないの精神で貰ったとか言って。
日本こそ、貰うべきですよね。
でも、日本人はそれで、ノーベル平和賞をよこせ、とは言わないのが美徳なんですが。
黙って世界に貢献しているんです、日本はね。