菅新政権発足とメディアの崩壊
菅新政権発足とメディアの崩壊という事について、お話をさせて頂きたいと思います。
9月14日、自民党総裁選が開かれ、菅新体制が構築されました。
そして、9月16日、首班指名をもって、菅新内閣が誕生したわけです。
当初メディアは、国民人気ナンバー1の石破新総裁が誕生するかのような報道を続け、石破さんは連日各メディアに出ずっぱりでした。
しかし、総裁選の結果は、それとは全く異なる結果に終わりました。
自民党党員票においても、菅新総理が圧倒的な人気を誇り、石破さんは2位に終わりました。
そして、議員投票の結果としては、26票という事で、最下位の第3位で終わってしまったわけです。
メディアの終焉
これは、メディアが世論を作ることが出来なくなった事を意味します。
これまで、ネガティブメディアは、様々なポイントにおいて、世論、ブームを作り上げて来ました。
しかし、これだけ持ち上げたところで、世論を作れないという実態が明らかになってしまったわけです。
さらに言えば、あまりに持ち上げ過ぎた故に、石破候補の実態が国民の目の前に晒され、結果的に人気の凋落を呼ぶという事にもなったとも言えるでしょう。
その意味では、メディアは終わったのかもしれません。
広告をして、広告を出して、お金を使って宣伝になるならいいけれども、それがマイナスに働くのであれば、もう広告媒体としての価値は無いわけです。
菅新体制発足
そして、9月16日、菅新体制は発足しました。
この新体制ですが、派閥の論理によって作られた側面が大きいです。
なぜ、菅さんが総理になれたかと言えば、やはり自民党の細田派、麻生派、竹下派という3代派閥と、そこに石原派、二階派が乗った、派閥の合従連衡が、この菅総理体制を生んだとも言えます。
第一派閥の安倍総理出身の細田派は、グループ議員まで入れると110人規模。
麻生派も60人以上のグループ議員を持っています。
この2派閥だけで170人。
竹下派まで含めると、240人規模のグループ議員がいるわけです。
この時点で、圧倒的に過半数を超えています。
この3派が乗れば、岸田さんが勝利することもあった、と言えるのが、今回の総裁選挙だったわけです。
そして、この主要3派プラス石原派と、幹事長を務める二階派といの間では溝があり、選対本部の中でも2つに割れていたと言われています。