船上かr毒物を海に垂れ流す姑息な理論
それじゃあもう一つの方法、船でその毒物を海に行ってですね、海にすこーしずつ流すんですよ。
ポンプをちょっとずつ使って。
そうすると、海の水は海流があったり、動いたりしますからね。
だから、海のどこを測っても、捨てた船の付近を測ってもですね、規制値以下なわけですよ。
それがいいかって事になりますとね、これは明らかに海洋汚染の世界的条約の思想に反するわけですね。
海洋汚染の防止の思想はですね、技術的もしくは、金銭的にも可能であればですね、出来るだけ毒物を海洋に流さないようにしようというのが思想なんですよ。
当たり前ですけどね。
海は共通のもので、みんな海水浴もするし、魚も泳いでいて、それを食べるという事で。
出来ないものは個別に考えるけど、出来るものはとにかく努力して下さいよ、という事なんです。
ですから、例えばヒ素とか、ベンゼンとか青酸カリを流そうというのは止めて、処理をして無害化してどっかにしまうという当たり前の方法に統一されているわけですね。
特に私なんかは、一流会社の一流社員でしたから。
一流、一流というのは、一流じゃなくてもそうするべきなのですが。
中小企業だとお金が足りないというような事もあるんですが。
仮にも大企業を名乗ってですね、経団連のメンバーとか、そういうんだったら、会社の社会的な責任がありますよね。
今度は東電ですよ。
東京電力はね、それはやっぱり日本の産業の模範になってくれなければいけないんですよ。
今はもう、信用が地に落ちていますけれども。
だけど、大きな会社ですし、国との関係も深いし、電力供給ですからね。
ちゃんとして欲しいという気持ちが僕にはあるんです。
足立先生も、それは反対されないと思うんですね。
毒物を薄めて海に垂れ流すのは駄目だという原則
そうすると、1980年から1990年に確立している、薄めて出すのは駄目だという原則くらいは、守った方がいいんじゃないかというのは、私の考えなんです。
これは私の考えであって。
もちろん、維新の会は違う考えでもいいんですよ。
それは、「考え」ですから。
維新の会は薄めて捨ててもいいと。
いう考えでも、それは別に構わないんです。
その事を言っているのではなくて、私は、だから、こういう議論の時にですね。
武田邦彦は頭がおかしいというレッテル貼りの撤回を望む
最近一番問題だと思うのが、「武田は間違いが多い」とか「あいつは頭がおかしい」とか、そういうレッテルを貼らずにですね、「武田は薄めて海洋に投棄するのには問題がある」と。
「ちゃんとその根拠も言っている」と。
「しかし私は考えが違う」って、維新の方が言うんだったら構わないですよ。
松井知事が言われたのは、更に分からないんですよ。
出典:産経ニュース
つまり、「安全なら捨ててもいい」と。
政府は安全と判断したら捨ててもいい、という言い方に僕は引っかかったんですね。
というのは、まず安全というのは非常に難しいという問題が一つと、薄めれば安全になると言えばそうなんですが、しかしそれは、安全だから捨ててはいいというものではないんですよね。
安全というのはやっぱり日本だったら1リットル6万ベクレル以下ですから。
それ以下なるという事は、240年かかるという事なんですね。
ですから、ごく普通に考えて、政治的にひねくりまさすというのは、私は政治ではないと思うんですよ。
政治というのは、そういう姑息な手段を弄する事、まぁこれは足立先生が大政治家ですから。
僕から政治の事を言う事では無いんで。
足立先生の言われる事を私が非難しているんじゃなくて。