表現の不自由展が芸術ではないと認めた津田大介
今日はですね、今問題になっているあいちトリエンナーレの表現の不自由展について、綺麗にですね、分析をしてみたいと思います。
この問題ですが、複数の問題が絡んでおりまして、見る角度、切り取る角度によって、全く違う問題に見えてくるというのが、大きな問題でもあるわけです。
今回ですね、この問題についていくつかのポイントに整理をしてみました。
まず、このあいちトリエンナーレにおける表現の不自由展が、本当に芸術であるのかどうかという所に1個目の問題があります。
これに対して、あいちトリエンナーレの芸術家督を務める津田大介さんがですね、トリエンナーレ開催前に行ったニコ生において、これは芸術点ではないと認める表現をしてしまっているんです。
公立美術館で撤去されたものを『表現の不自由展』という展覧会を持ってくる「体」にして、全部展示してやろうという企画です。
体にして、という事は、展示会のように、展覧会のように見せかけてと自ら言ってしまっているわけで、これは嘘であると言えるわけです。
本日自身が、展覧会ではない、つまり、これは一種の政治活動であると認めた事になります。
政治活動を税金を使い支援した愛知県大村知事
基本的に、政治活動に公金を使う事は出来ません。
特定の政治活動に対して、公のお金が入っている。
この時点で、まず大きな問題がある。
そして、それを県が支援しているという所にも、問題があるわけです。
画像出典:news.mixi.jp
ここにおいては、知事の責任も問われるのだと思います。
昭和天皇に人権が無い事を知った津田大介の計画的犯行
そしてもう一つの問題。
会場において陛下の写真。
昭和天皇、陛下の写真が燃やされて、それを肺にしたものを踏みつけている映像が流されていた事にあります。
画像出典:Twitter
日本政府の方針としては、法律上は死者に人権はないとされています。
これを生きている人に対してやれば犯罪になるかもしれませんが、亡くなられた方には人権がありませんので、これは犯罪にはならない。
戦前であれば、不敬罪というものがありましたが、現在そういうような規制する法律がない。
それを分かってやっているという所に、大きな問題があるんだと思います。
それに関してもニコ生において、そのようは発言が収録されておりますので、意図的に天皇陛下を侮辱する意図をもってやったという事は明らかなわけです。
でも2代前になると、なんか人々の記憶もなんか、あんま2代前だし、なんか歴史上の人物かな、みたいな。
っていうようなね、そういう捉え方もね、出来るかもしれないとかね。
これもある種の政治運動であると言えます。