表現の自由を超えた表現
それから私が心の中でずっと守ってきたのは、私が何か批判しようとする相手が、例えばNHKであれ、東京大学であれですね、批判する相手が、自分よりか弱い場合はやらないんです。
だけどまぁ、自分よりか強い相手はやっていいと。
だけど、もし私がですね、全く力のない人、表現力のない人、社会的にあんまり恵まれていない人をなにかの恨みかなにかで徹底的にやったらですね、その人は潰されちゃいますよ。
それはもう許されない事ですね。
それからもう一つは、事実ではない事と似ているんですが、その人が努力しても克服できない事を批判する。
例えばまぁ黒人だとか、女性だとか、そういう事で批判する。
それも僕は随分注意しているわけですね。
そういう事がないように。
自由にその人の意思で変えられるかどうかという事ですね。
例えば津田さんは金髪おじさんなんですけど、
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金髪は変えられますからね。
ですから、あいつは金髪でけしからん、なんていうのはまぁ許されるだろうと。
あまり人の格好だから、適当ではないけれども一応許されるだろうと。
つまりですね、表現の自由を守るという事は、絶対に表現をする方がジェントルマン、紳士でなければいけないんですよ。
紳士的なものであって、やり方も紳士的で。
天皇陛下の顔写真を焼く事が芸術である根拠を愛知県は説明せよ
だから、天皇陛下の顔の写真を焼くというものがですね、
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まぁ、芸術家の方で随分と議論して欲しいんですけど、私は芸術性が無いと思うし、人の顔を焼くというのはですね、特殊な表現ですから。
なにかもう全然芸術上の違う目的がなきゃダメなんですね。
ですから、そういう事ももし今度ですね、愛知県はちゃんと言わなければいけないですよ。
なぜ天皇陛下の顔を焼く写真といか作品を出したのか。
それはこういう理由なんだと。
これはその日本国に対して侮辱する事にもならないし、日本国憲法を侮辱する事にもならないし、日本国憲法は天皇陛下は象徴だと言っているわけですから。
だから、一定の尊敬はしなければいけないわけですね。
その範囲での表現の自由を言うべきなんですよ。
だから、それについてどういう見解だったかという事は、はっきりと論理的に述べなければいけませんね。
私たち表現をする人。
表現の自由で他人へのバッシングは認められるのか?
例えば私もそうなんですが、私に対してバッシングをして来る人なんて山ほどいるんですが。
まぁ、大半の人はよくそこら辺をお考えになっていないので、いいと。
まぁ、そういう文句もあるだろうと思う事もあるんですが、本当は違うんですね。
自由に人をバッシング出来るという事も、表現の自由なんですが、そこにはやっぱり、表現の自由を守ろうという気持ちがいるんですよ。
表現をする人に。
表現をする人が。なんでもむやみやたらと表現ができるわけではない。
限界があるんだと、いう事がちゃんと分かっているという事が重要でですね。
どんな権利もそうですけど、何をやったって権利が守られるというわけではないんです。
やっぱり、人の権利というのは長い歴史があって、血も流して、そして権利を獲得して、そして獲得した権利を大切に守るという。
そういう事は非常に大切なんですね。
そのためには、もちろん法律に反する事は勿論やってはいけません。
これは当たり前ですね。
法律に反する事はやってはいけない。
それから、表現する方で、規制しなければいけませんね。
一個人を5日間批判し続ける毎日新聞
この前の毎日新聞が、一個人の原さんを名指しで5日間も一面で批判するとか。
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原さんに頼めばなんとか出来るなんていう、これは面積ですけど一面全部で使ってやるとか。
もう、全く発信力が違う。
原さんとしては、なんか訴訟すると言っていますけど、訴訟せざるを得ない。
そんな状態をですね、毎日新聞という表現を、表現する事をもって、発信する事をもって商売をしている人がやっちゃいけないんですよ。
プロなんですから。
我々はプロなんですから。