一国に二つの言葉を根付かせようとするカス国
これはですね、イギリスはノルマン人に征服されたんだからまぁしょうがない。
自ら進んで一つの国に二つの言葉を根付かせようとする、そういう愚かな事をやる国はどこにあるか。
あえていおう、カスであると。
そういう話なんですね。
言語が先か、現実が先か、ちょっと分からないですけど同時進行で日本も危険な状態になるわけですね。
だから、これが進んじゃうと、要するに2020年代。
英語でものを言わないと格好悪いと。
一流じゃ無いという話になるかもしれない。
実際企業なんかは、どんどん社名をアルファベット表記にしてるでしょ。
日本語使わないでしょ。
いつの間にか。
現実問題、川口市の市長なんかが、自分の芝園団地に中国人が殆ど住んでいるという事で、中国語の通訳さんを市で派遣したりとか、どんどん町ぐるみでやってるというのを考えると、
現実問題としては、確かに日本語を覚えて貰った方が摩擦が減るんじゃないかと思いつつ、
大東亜会議を英語でやった日本の実力不足
そこまではいいんですよ。
問題はだから、日本人は英語を勉強しなさいっていうのはどこから出てくるんだと。
つまり、ランキングを自分たちで決めて、単純労働者より自分たちは上だけど、高度人材様よりは下であると、そういう風に位置付けているとしか思えないと。
階級の固定化。
そうですね。
遺憾ながら、この国は戦争中、大東亜会議というのをやった時も、あれも諸般の事情で、英語でやったんですよね。
大東亜会議は英語でやったんですよ、あれは。
これについては、日本語を押し付けなかったのが、大日本帝国の良さであるみたいな擁護論をアクロバットに展開する人々がいますが、そういうのは一言、ナンセンス。
いいですか。
自国の覇権秩序、自国中心の秩序を作ろうとね。
大東亜共栄圏っていうんだから。
それを作ろうとしている時に、自国の言語を共通語にする事が出来ないというのは、はっきり言えば、単なる実力不足である。
それを奥ゆかしさとか馬鹿な事を言って貰っちゃあ困るんだと。
あらゆるそういったですね、覇権秩序には、共通の言語が無ければ長続きするわけがない。
そしてその共通の言語は、覇権国の言語である、当然。
だから、大東亜会議を英語でやってしまったというのは、それはいかんせん、まだまだ日本はあれだけの秩序を作る力に欠けていたという事でしかあり得ない。
自ら進んで母国を貶める安倍政権
だけど、力が足りなかったのはまだいいと。
今回、自ら進んで母国を貶めるとは何事であるかと。
それが国際化であるとか、グローバル化であるとか、そういう風に詐称する。
はっきり言って詐称。
なんであるかと。
このままで行ったら本当に日本語で日本を愛するという事が言えなくなる。
というか、そういう事を言うやつは結局一流じゃないねっていう話になっちゃったらどうなるんだって話ですね。
ですからこれは、今のうちに真剣に考えておかないと、いずれ日本の保守は本当に根本から崩れると。
保守的な主張を日本語でするだけで、それは一流じゃないよって言われたらどうするうだと。
それは案外近い。
今のままだと案外近いですね、そういう日が来るのは。