「日本国紀」コピペ批判問題の本質
日本国紀という、まぁ、60万部ぐらい売れている百田尚樹さんの本なんですけどね。
これについて、色々と問い合わせや、あれありまして、こういうのを黙っているとね、私も物書きの一人ですし、百田さんも私も放送作家、
まぁ、彼は構成作家だった、私は脚本だったんですけど、そういう同じような場所から出て、メディアとか色んなところで発言する、そういうちょっと似た立場もありますんでね。
で、若い人ですから、エネルギーが凄くあって、皆さんからも好かれている人なんですけどね。
この問題について、何もちょっと言わないのはよくないという事でね、言っておきます。
まず、日本国紀というこの本自体の制作意図とか、こういう本が、本当に私は必要だったと思いますね。
分かりやすく入門編としてね、日本の今日までのあり方、今の現代の戦後の日本のあり方。
きちんとそれを見渡すような、本というのは必要だったと思います。
本当に、よくやって頂いたと思います。
制作の問題としてはね。
ただまぁ、色々、朝日新聞なんかを中心に、
5月18日 朝日新聞
色んな所で批判があって、なんか見城さんですか、幻冬舎の社長、見城さんという人が、まぁツイッターを投じました。
画像出典:Twitter
編集担当者がどれだけの情熱で会社を説得し、出版に漕ぎ着けているかということをわかっていただきたく実売部数をツイートしましたが、本来書くべきことではなかったと反省しています。
そのツイートは削除いたしました。申し訳ありませんでした。— 見城 徹 (@kenjo_toru1229) 2019年5月17日
その中でまぁ特に朝日が多いんでしょうねぇ。
他の産経とかもやっていますけれども、つまりこの部数をね、見城さんが発表したんで、それは無いだろうという事で、批判を浴びて、この本によって自分が出版できなくなったというね、そういう作家が、まぁいて。
画像出典:朝日新聞デジタル
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画像出典:駆け抜ける、日々
その問題で、そのツイッターを閉じたというような事が報道されていました。
一番大事な事をまず言うとですね、この人が、この作家が、この問題で出版できなくなったとかね、文庫化されなくなったとかね。
それは、作家の意見ですから、それはやってもいいんですけれども、その問題ではない。
一番の問題は、つまりこの作家が、そういう事を言ったから、
日本国紀についての、例えば、引用だ、なんだとかね、Wikipediaという所から、パクっているみたいなね。
そういう形で批判していたから、自分は出版されなくなったという事を言っているみたいなんですけれども、
これに関しては、まぁ、その作家の主張ですから。
ただ、出版っていうのは、結構シビアですからね。
もちろん、気に入らないヤツと付き合わなくなるのは、はっきり言って、当たり前なんです。
私も物書きで、正論とか書いていたり、WiLLも書いていたり、色々な事を連載、やっていましたからね、分かります。
その会社とか、会社のポリシーや、ビジネス目的とか、そういう出版社は、儲けるために一応やっているわけでね。
だから、政治運動体ではありませんから、自分の気に入らない作家とかは、切る事が出来る。
もっと言うと、NHKとか、どこでもそうですけれども、例えば私は映画監督ですけれども、殆ど99%日本映画監督協会の会員の中で、私は1人や2人だと思います、保守の監督はね。
だから、そういう事を言うと、それは雇われないんですよね。
どんないい作品とか、実力があっても、これはもう、資本主義社会の現実であって、作家にとってはね、嫌な事ですし、辛い事だけど、これは甘んじて受けなきゃいけない。
でも、そこをどうするかというのが問われる問題でね。
彼は自分で辞めたんだから、別の所で出版する事を考えなければいけない。
そういう事は、ずっと昔からやられて来た。
後で、この週刊新潮のね、問題もやりますけども、その問題はそういう事だという事を、出版社というのは、凄い厳しいですよと。
テレビ局もそうですよ。
変な事をやれば、例えば私は、もうほぼ半永久的だと思います。
今の現状の地上波からは、お声はかからない。
当たり前で、それはいいんですけどね。
という事はあるという事。
そういうものを引き受けながら、どうやるかという事を考えていかなければいけないという事であります。
それと、日本国紀の中で問題だというのは、私はこの問題の本質はどこだというとですね、まずはWikipediaや色んな所で、百田さんの話によれば、膨大な数のあれを積み上げて、そこから引用して、その僅かな部分がね、Wikipediaからも引用したと。
まぁ、いうような事で、それを言っているんだけど。
一番の問題は、いつも盗作問題とかそういうのに出るのは、そういう所なんですね。
Wikipediaというのは、もちろん著作権が無い所ですから、法的には問われないけれども、そのWikipediaの文章そのものは、どこから来ているのか分からない。
そういう意味では、例えば男系男子の他の宮家がね、沢山いるという事を水間さんが言っていたけど、誰か人が勝手に使ったとか、色んな問題が起きているように、作家にとっては、自分が調べたりなんかした事については、結構大事だと思っているわけですね。
そういう意味では、私も昔ですね、今はもうなくなりましたけども、ビデオ屋に、私の演出したものが勝手にダビングされて、ズラッと並んで。
例えば、フィリピンだったですけどね。
マニラにズラッと並んでいるわけですよ。
そうするとその、やっぱり、汗かいて脚本書いて、
そうですよねぇ。