美しい事がなぜ選択の一つの理由となるのか?
ここまでは、まぁ今までも随分説明しているんですが、なぜそれじゃあ美しいという事が、選択の一つの理由になるのか、っていう事ですね。
実はですね、美しいというのは、非常にこう難しいわけですね。
私も20年くらい多摩美術大学で、まぁあるデザインを教えていたんですけども。
この多摩美術大学は、美しい事を追及しているわけですよ。
じゃあ、美しいとはなんですか?というとですね、芸大にいた非常に素晴らしい先生も、「いや、美しいものは美しいんだよ」という風にお答えになるのが普通だったわけですね。
ですけれども、美しければ男が選択するっていうのは、なんらかの理由がなければいけないと思うんですね。
それからこれは一般的にですね、美しいという事は、美人ばかりではなくて、景色が美しいとか、それから食べ物が美しいとかですね、色んなものがあるんですね。
それで、共通して言えるのはですね、例えば荒れた荒野というのは、やっぱり汚いんですよ。
それから、食べ物でもですね、腐ってくると汚いんですね。
それから、色んな所のものが全部そうですけれども、危険なもの、腐ったもの、古臭いもの、そういうものは全て汚いんですよ。
例えば車でもですね、新車の時は非常にキレイなんですが、だんだん錆びてきて、ガラスが曇ってきて、なんて事になると汚いんですね。
つまりその、キレイだというのと、汚いというのはですね、別の普遍性を持っているという事ですね。
非常に表面的に言えばですね、キレイなものの方が、安全であり、食べ物はおいしく、鮮度も十分あり、それから新しくて、という感じなんですね。
つまり、対象とするものの総合性を表しているわけです。
ですから、美人であるという事はですね、人間として優れているという事を、まぁ示しているんですね。
じゃあ、なんで美人が人間的に優れているのか、もしくは美しいものが、安全であり、古びると必ず汚くなるという風になる、雑然としている、そういう風になる。
それから、物が乱雑に置いてある、みんな汚い、表面的にも汚い。
それからちょっと尾籠な話ですが、人間の排泄するようなものも、まぁ汚らしいわけですね。
この汚らしいというのと、キレイであるというのは、私たちの科学者の分類で言えばですね、エントロピーが低いものがキレイなんですよね。
整然と並んでいる、きちっとしている、こういうものは全てエントロピーが低いわけですね。
この宇宙は、エントロピーが低い所から、高い所に、大きい所にどんどんどんどん移っているわけですが、その中で、生命とか、景色とか、再生の利くものはですね、エントロピーの低い所から、高い所に移動します。
ですから、整っているものというのは、エントロピーが低いんですね。
エントロピーが低いという事は、簡単に言えば、利用価値が高いと言いますかね、それが駄目になるまで、時間がかかるわけですね。
ここの私は、美というものの本質があると思っているわけですね。
つまり、美しい景色、美しい料理、美しい着物、美しい自動車、美人…
全部ですね、エントロピーが低い状態なんですね。
そのエントロピーが低い状態というのは、生命の本質であり、これから花開く事が、間違いない状態なんですね。
人間はたぶん女性だけ
これが、例えば、お化粧をして美人になるというのが、エントロピーを下げているかというと、ちょっとこれは困るんですが、本質的に美人であるというのはですね、やはりエントロピーが低い状態を示しておりまして、
それを、男性、男がですね、200万年前に選んだ問う事が、素晴らしい事だと思うんですね。
つまり、女性だけが、たぶん人間なんですよ。
男はですね、付属物なんです。
これは、文句がある人には、私はいくらでも説明しますが。
そういうもんなんですね。
ですから、男には具体的な力。
例えば、狩りをする力とか。
今で言えばお金持ちとか、力があるとか、頭がいいとかですね。
本質的ではないというか、直接的な力を求めているんですね。
ところが、女性はですね、人間そのものですからね。
人間の価値そのものが問われるんで。
そうするとやっぱり何が基準になるかというと美人が基準になります。
従って、人間の男性が、女性に美を求める。
女性が男性に収入とか力とか頭脳とか、そういうものを求めるという事は、極めて合理的で。
それ故にですね、人間の発展が続いて来たというのがですね、私の見解であります。