生物の概念に個人主義など存在しない
それから、家庭というのがよく出来ているんですね。
もちろんあの、生物ですから、巣ですね。
鳥の巣でも、なんでも動物の巣でも、巣というものが基本なんですよね。
だいたいね、個人が基本なんて、誰か馬鹿な人が言っているんですけど。
馬鹿って言うと、失礼なんですけど。
それはね、あまりに、生物というものを知らない、観念的な、頭で考えたものなんですね。
個人という存在は、人間には無いんですよ、実は。
個人主義とか、個人を大切にするなんていうのは、人間という生物の概念には、無いんですね。
まず、雄と雌なんです。
これは、2人でしょ。
それから、家庭ですね。
これは、巣ですからね。
男と女と子供、時にはばぁさん、じぃさん、たまには親戚。
例えば、狼なんかがそうですね。
狼が結婚して縄張りを出て行っても、何かの関係で、変なことが起こった場合は、その嫁いだ先の娘とか、息子とかいうのは、やっぱり家に帰って来るんですよ。
家庭とは川のようなものである
どなたか、偉い学長さんが言われたように、家庭とは川のようなものである。
そこで流れながら、成長し、そして巣立っていき、そしてまたある時は家庭に帰ってくる、川に帰ってくる、と言っておりますが、ある意味じゃやっぱりそういうものですね。
これもやっぱり、群れなんですね。
それからやっぱり、ご近所さまというかですね、近所、友人、それから会社、お付き合いの先、これみんなですね、群れなんですね。
群れというのがまたいいんですよ。
下町だったら、向こう三軒両隣、これは大切ですね。
これはね、あのインテリの、山の手でもそうなんですが、インテリの人達は、個人が大切だて頑張るもんですから、ぎくしゃくしちゃうんですよ。
いや、それは向こう三軒両隣が、にこやかにそれぞれの分を守って、群れとして生活すればいいに決まっているんですよね、そんなのは。
そして、国家ですね。
やっぱり、国というのが1つの単位になります。
大企業が儲けるだけのグローバリゼーションからの脱却
もちろん宇宙人が来れば、地球、世界、グローバルという事になるんですが、宇宙人でも来なければ、やっぱり世界というのは群れを超しちゃっているんですね。
ですから、昨今のように、グローバリゼーションというのが、単なるアメリカの大企業の儲けだけに終わってしまって、世界の人達を悲惨な目にあわせたという事も、納得出来るわけです。
宇宙人が来なければ、群れというのはですね、ペア、男女のペア、それから家族、それから友人とか、向こう三軒両隣とか、会社の人達、かけがえのない友達、仲間がいるわけですね。
そして、国ですね。
これを、この方が、個人よりか上にあるんですよ。
実は私たちはですね、私自身の喜びよりも、愛する彼女の喜びの方が嬉しい。
私自身の喜びよりも、子供の喜びの方が嬉しい。
そして、友人に幸福が訪れたり、国家が繁栄したりすると、もう無性に嬉しい。
つまり我々はですね、もうすでに、超人間なんですよ。
人間ではないんですよね。
だからよく言うように、「他人に感謝しなさい」
他人に感謝する、これが大切で、自分の幸福になる。
「人の為に献身しなさい」
身を捧げなさい、それがあなたの幸福になる。
これはどうしてかというと、我々が群れの一員だからですね。
ですから、今はですね、盛んに個人というものを強調して、これは浅はかな頭脳。
全然、生物も何も分かっていない人。
生物もイエスキリストも分かっていない人。
両方共分かっていない人が、個人主義、個人が大切だと言って、まぁ、戦争の後、日本を破壊してきましたが、もうそろそろ、本当の事に気が付いて、群れを大切にする。
男女、家庭、友人、隣近所、そして国家、それを大切にする。
自分よりか大切にする。
そういう風に、向かって行かなければいけないと思います。