自由とは何かを知らない平成という時代
ところが平成になると、みんな自由という事が何かと知らない。
植民地、あるいは捕虜収容所で生まれた子供たちが、なんか課長になったり、部長になったり、社長になったり、総理大臣をやっとるわけですよ。
それで、もう政治というものが、根本的に溶解してしまった。
だって、植民地には政治には無いですから。
独立している時にしか、政治というものは無いわけですから。
そらもう植民地になったら、大人に出来ることは、媚びる以外何も無いですからね。
政治はだって、媚びる事だけ覚えて。
媚びるというものの、ちょっと複雑バージョンが忖度ですからね。
それが今、席巻してしまっているわけで。
政治が無くなると、当然ながら秩序が無くなって来ますから、アノミー化しますよ。
そうなると、当然ながら、正しいも間違いも無いから、ニヒリズムが進化して行きますよ。
そうすると、何が正しいかという基準も無くなりますから、クライテリオンも無くなる。
そうすると、最も守らなければならない国体だって無くなっていって、国体というものをもうちょっとフワッとした社会学的に言うと、国柄も無くなって行きますから。
日本が日本であるアイデンティティも無くなってしまいますよ。
そうすると、そこまでもう日本が日本で無くなると、強靭性も無くなるし、社会も脆弱化しますよ。
ですから、昔は、昭和時代は一応政治は3流、経済は1流って言われていましたけれども、
今は、政治は5流、経済は3流ぐらいになっているわけですよね。
で、国力も無くなって、外交的に敗北し続けていると。
これが、平成元年と、令和元年。
あるいは、平成31年との決定的な違いだと思います。
政治がこの国から、根底的に無くなった。
自由というものが、独立とは何かと全部忘れてしまった時代、それが平成だと思います。