スパイ防止法案反対の朝日新聞がスパイ活動
今日のテーマは、スパイ防止法案制定に反対していた朝日新聞が、なんと自らスパイ活動をしていたという事でお話させて頂きたいと思います。
まぁ、朝日のねスパイ事件といえば、尾崎秀実(おざきほつみ)
画像出典:ВКонтакте
慰安婦問題を捏造した朝日新聞 植村隆
に始まりですね、色々とあるんですけれども、あのね、慰安婦問題も植村隆記者がねつ造して、
画像出典:KJCLUB
でっち上げたストーリーだという事も多くの人々に知られて来ましたけれども。
まぁこういうのもね、本当に言論工作員ですね。
しかし、私は本当に、なんで日本が戦後70年以上を経って、未だにスパイ防止法が制定されないのか、不思議でなりません。
で、ちょっと調べてみましたら、昭和50年代は、かなりこのスパイ防止法制定の運動が盛り上がっていた時期があったんですね。
しかしそこで反対したのが、日弁連ですとか、
一番ですね、その反対のトップに、扇動に立っていたのが、朝日新聞でした。
で、朝日はこの法案が危険だ、危険だと騒ぎ立てる一方で、なんとスパイ活動をしていた事件が発覚したんですね。
昭和56年の2月16日に、こういう事件がありました。
千代田区紀尾井町のホテルニューオータニの16階で、大手建設業界の首脳の集まりである経友会の会合があったんですけれども、なんと朝日新聞の安藤博編集委員が、この会場の部屋に事前に侵入し、会場のテーブルの下に、盗聴器を仕掛けたというニュースなんですね。
これはまぁあの、なんか怪しい男が来ていたという事で、事前に発覚しまして、取り押さえになったんですけれども、この安藤記者が警察になんて自供したのかといいますと、
取り付けた盗聴器が機能しなくて、何も聞こえなかったという、なんか苦しい言い訳をしたそうなんですけれども。
まぁ、安物の機械をくっつけて、スパイ活動に失敗したというだけの話なんですけれども、まぁこういうね、間抜けな事件がありました。
で、この方はね、アメリカ総局員でもあり、朝日でも渡米組として、かなりエリート記者として知られていた方なんだそうですけれども、すぐ懲戒免職になったそうです。
なぜ植村記者は、懲戒免職にならないのか不思議でなりません。
南京大虐殺を捏造した朝日新聞 本田勝一
それから、中国のお先棒を担いで、日本に南京大虐殺などというフィクションをばら撒いた、本田勝一記者も、
画像出典:産経ニュース
言論工作員ではないのかという事で。
まぁね、朝日新聞がスパイ防止法案制定に反対する理由は、今も昔も変わらぬ、よく分かりますけれども、困ったもんだと思います。
2012.10