令和という元号に私が素直に感じた事
その万葉集が、実は中国の古典を引用しているんだという事を主張される学者もおられましてね、それはそれで、学者としては真面目な議論だと思いますが。
そういう議論はあってもいいのですが、しかしだからといって、別に令和そのものにケチをつける事にはならないんだろうと、私は思うんですね。
私自身は、学問的な真摯な態度から、学問的に令和の本当の出典の原点といいますかね、それを極める、研究するという事は、学問的態度としては、結構な事だと思いますし、
それと、政治的というか、国民的に令和が直接には万葉集から引用されているという事をね、
これは、今までの中国の古典からの引用から初めて、国書、いわゆる国書から元号が引用された。
その事実をね、私は素直に喜ぶ。
そちらの方の人間なわけですね。
それは、多くの国民の方が、私自身も学問的には、出典の出典の原典なんていうのは考えた事もなかったですし、そこまで思いは至りませんでしたけれども、多くの国民の方も同様に、令和というのが万葉集から取られたんだという事を、素直に喜んでおられるんだと思いますね。
国民の感情といいますか、そういうものだと思います。
もちろんそれと、先ほど申し上げましたように、学問的な見地から、色々物事を探求するという姿勢は、これはまた尊重されるべきだという風には思います。
しかし私は、結論的には、とても令和はいい元号だなぁと思うんですね。
その意味はもう新聞にも出ておりますし、もう皆さんもご存知の方も少なくないと思いますが、これは万葉集の、なんていいますかね、梅歌というんでしょうかね。
その歌の序文にある言葉から引用されているのですが、書き下し文によれば、
「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
(~梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文~)
聞いていると、なんとなく心が躍るような、和むような流れですね。
この感性っていいますか、それが私は重要なんだろうという気が致します。
令月というのは、これは解説を読みますと、おめでたい月とか、縁起のいい月という事を意味するらしいですし、
和というのは、もちろんいうまでもなく我が国の伝統的な精神ですね。
骨格的な精神といってもいいですが。
だから、令和の時代には、清い風が吹いて、人々というのは、私たちの事ですが、自分自身の花を咲かせるという事ですね。
それから、花は散っても、芳しい香りを残すと。
そういう風に解釈する事ができるわけですね。
で、これはまさに日本が歩んできたというか、日本の伝統的な精神を表している、そういう元号のようにも感じられるわけですね。
つまり、一人一人の私たち日本人が、自らの分を尽くす事によって、日本が全体として調和しんがら、善き方向へと、大きく変わっていく、そういう時代だと。
それを象徴しているという風に、それを暗示しているという風に解釈出来るわけですね。
私はそういう意味では、これは感性の問題として、あるいは国民の想いの問題として、素直に喜びたいという事を、もう一度強調しておきたいと思います。
これは従来のように中国の古典から直接引用するのではなくて、国書、万葉集ですね。
我が国最古の歌集ですが、そこから引用されたという事も、一つの意味のある事ですね。
これは明らかに伝統的な文化って言いますか、国書に対する敬意の表れでもありますし、伝統文化、伝統精神への復古でもあるわけなんですね。