リベラルの進む道は解体しかない
そうじゃなくて国を愛するっていうのは誰か特定の富裕層が、今の中国で例えば富裕層っていっても1億5000万くらいいるらしいですけど、
ろくに運転もできないのに勝手にフェラーリ乗って、そしてフェラーリで、フェラーリが悪いわけじゃないですよ、本来そういう車じゃないけども、それをでたらめな運転して人をはねてもお金で解決するということが現に行われているっていう中国社会の恐るべき現実があって、それが中国共産党ですよ、社会主義ですよ。
で、中国共産党の批判を例えば日本のリベラルといわれている方はします?
ほとんどしないですよね。
だからそうじゃなくて、国を愛するっていうのは、すべての人が人間を、すべての人が人間の尊厳を保てる社会にする、それが国を愛することだし、
ちゃんと所得は再分配すると、資本主義の歪んでいる面、これは民主主義のコストであると同時に資本主義のコストで、重なってる部分はありますから、必ずそれを有権者のご意志とそれを受け止めた政治の創意工夫と努力によって所得の再分配を必ず行わなきゃいけないわけですよ。
消費税はそことも違いますねっていう話なんです、本来は。
したがって、リベラルの進む道っていうのは、僕はそれははっきりと解体しかないです、自己解体しかないです。
人を思うのか思わないのか、自分だけよければいいのか、いや自分以外の人と一緒に暮らしていきたいのか。
国を愛するっていうのは右翼じゃなくて人のことを思う、自分以外のことを思う、一緒に国というものをもり立てて、
日本がおそらく世界で最も早く国家というものを作り出したから、僕は最初に皇紀2679年と申し上げているんで、神武天皇がひとりのお姿で実在されたかどうかは別にして、キリストが生まれるざっくりいえば660年前に、つまり皇紀っていうのは西暦より660年古いですから、
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その時に、神武天皇のお誕生日というふうにしてなくて、日本の歴史の始まりを神武天皇の即位にしてあるというのは、国家というものを、国とそういうことを言わなくても、国というもの、つまり自分のことだけじゃなくて、みんなのことを周りのことを一緒に考えるということは必要なんだと
人間と動物の違いはそこにあって、人間はそれをするんだということがキリストがお生まれになる前から日本にあって、それを僕は見事に象徴しているのが皇紀っていうカレンダーの作り方であって、もう一回言いますが、一人の独裁者でその誕生日が国の始まりにするんじゃなくて、そうじゃなくて、神武東征も八咫烏も含めて、国というものが必要でこういう大きな、守られる仕組みをつくりましょうと。
それがnation、国家であって、国を愛するっていうのは他人を愛することだということが根幹です。
保守派という言葉を僕はなるべく使わないのも、実はそういう理由なんですよ。
物書きのはしくれとして言葉を大事にするから言ってる面もあるし、同時に、ベルリンをを歩き、モスクワを歩き、それなりに世界を歩いてきた僕からすると、
日本のこの中で保守・リベラルといってる話っていうのは、もう笑う力もないほど現実と乖離しているということをどうぞお若い、しかもバレエを習うためにモスクワまで、しかも寮生活までなさってたあなたですから、強い意思をお持ちのあなただから、もう一度そこをゆっくり考えてください。