リベラルとは一体何なのか?
じゃあ次の質問に行きますが、
二十歳頃に青山さんの番組を初めて見てから早いものでもう25歳になりました。
5年間ということですね、ありがとうございます。
当日、当時っていうべきかな、留学生でモスクワのバレエ学校にいて、すごいですね、男性の方ですけど、すごいですね、寮の部屋で聴いていたのを覚えています。
その後ロシアで少し働いたあと日本に帰ってきて、今も家や車や電車で青山さんの話を聴いています。
今バレエなさっているかどうかちょっとこれわかんないですけども、戻りますね。
さて、ずいぶん前になりますが、白熱教室というテレビショーが流行って、書籍にもなったと思うんですが、そこで、リベラルが保守党に勝てなくなっているのは、リベラルの政治には価値というものが欠如しているからだという話があったと思います、と。
これはイギリスのことをおっしゃってるんですかね、それで、ちょっと途中をすみません時間の関係で省略するとですね、僕はリベラルの弱者救済とか所得の再分配は必要な考え方だと思います。
日本のリベラルの進む道とはどういうものでしょうか、と。
つまりこの方は、自分が日本のリベラルだという認識でいらっしゃるのかな、そこまでまだ考えを固めてらっしゃらないのかもしれませんが、まずあの、日本以外の国で、特に西欧でいうリベラルと日本でいうリベラルはまったく違うということを、できれば私は書籍にとても詳しく書いてます。
特に「僕らの真実」というもともとの本、今はタイトルを変えて新書になってますが、そこに一番書き込んだと思うんですけれども、西欧社会でリベラルというのは自由と、自らの自由とみんなの自由と、みんなの人権を守るためには自ら銃を取って戦う人々のことをリベラルって本来は呼んでるんです。
というのは、1789年にバスティーユ監獄の襲撃からフランス革命が始まって、それがリベラリズムのむしろ原点ですから、日本のように鐘や太鼓を鳴らしてたら平和になるっていうのがリベラルだっていうのは全く理解されないです。
ただし、この西欧社会のリベラルも、このお書きになってる弱者救済とか所得の再分配を指すようになってる側面は年々強くなってる感はありますけど、ただその、弱者救済、救済っていう考え方は本来の社会保障と違うものであり、あるいは所得の再分配は必ず必要です。
弱者を救済しない資本主義と共産主義
資本主義は本来はそのdesire、つまり欲望の塊ですから、したがってこれは、正すべきは正していかなきゃいけないので、ほっとくと所得は、今かなりそうなってますけど、特定のところに集中するんで、これ必ず、特に税制を使って再分配はしなきゃいけないですよね。
それから、弱者を上から見て救済するんじゃなくて、弱者がちゃんと、例えばお体が弱いとかそういう弱者のままでも、きちんと人間の尊厳が全く誰しも共通しているから自立できるようにするっていうのが本来のこの考え方で、
ということはこれは別にリベラルの考え方でもなんでもなくて、僕は保守派って言葉もほとんど使いませんけど、国を愛するという立場からすると、両方とも必ず必要なことですよ。
そうでないと、国を愛するって何ですか、例えば強い者だけが生きていればいいんですか、それ、国を愛すること?
それから所得はその特定の富裕層にだけ固まればいい。
はっきり言うと、民主主義のかけらも存在しない中国がそうなってるじゃないですか、そうでしょ。
それから、共産主義はまさしく弱者救済のはずが、真逆になってますよ。
だからあの、特に日本のイメージだとリベラルってやや社会主義、共産主義に近い、近くなっても甘いじゃないですか。
社会主義や共産主義の独裁に対しての、だからそっちから見るとこうなるのか、左側にね、でも共産主義や社会主義こそ弱者を踏みつけにし、そして所得の再分配を行わないんですよ。
だからソ連の崩壊も、もちろんルーブルって通貨がダメになり、うんぬんかんぬんはありますけども、
国を愛するとはどういう事なのか?
根本的なことは人民が救われる社会じゃなかったからというのが、もちろん一番の根っこなんであって、ということは、保守とかリベラルっていう区別自体も本当はもうとっくに終わってしまった話であって、少なくとも1989年のベルリンの壁崩壊、そして97年東西両ドイツの統一、
91年のクリスマスのソ連の崩壊をもって、その区分は一応終わっていると考えるべきであるのに、日本はいまだにいわば冷戦時代の考え方に執着している現実があるわけですね。
したがって、まだ25才のあなたがそういう考えにとらわれるっていうのは全く僕はふさわしくないと思います。