我那覇真子「沖縄は捨石ではありません」
と書いているんですよ。
まぁ、「捨石」ではありません。
そして、犠牲犠牲って言われるんですけれども、犠牲というよりは、むしろ日本全体をみんなで守らなければいけないという事で、米軍が上陸してきた所が沖縄だったから、沖縄が戦場になったわけですよ。
なにも捨石にするために、ここを選ばれたというわけでは無いわけですよね。
「捨石」という言葉のニュアンスはね、元々ね、沖縄がどっかね、遠くかどっかのね、太平洋地域にあったものをね持ってきてよ、持ってきて持ってきて、ひょっこりひょうたん島みたいに持ってきてね、アメリカが侵攻して来たら、そこにパッと置いてね、これを踏んで来いみたいなね、
「捨石」というのにはそんなイメージがあるんですよ。
ところがね、これは地政学的にアメリカの方針で真っ先に来たのはね、彼らの方針であってね、何も日本政府があそこに島を持ってきて、そこに差し出したわけでも何でもないよ。
その辺の勘違いね。
日本を守り散華した日本人への橋下徹の冒涜
そうですね。
あれですよね、師匠。
沖縄に最初に上陸されるのか、あるいは九州の宮崎の方に入って来るのか、どっちかという事だったんですよね。
それが沖縄になったわけであって、この沖縄だけが犠牲になったって、そういうのは要するに本土と沖縄を分断する為に、わざと歴史解釈を歪めて、宣伝戦として使っている言葉じゃないですか。
それを書かれてあって、
2月の18日はですね、皆さんご存知でしょうか、慰霊碑が沢山ある糸満の摩文仁(まぶに)という所で、各都道府県の慰霊碑が建てられていまして、毎年ですね、大阪からも宮司さんたちがいらっしゃって、大阪の慰霊碑の所で、慰霊祭をやるんですよ。
色んな、都道府県がその一斉の日では無くて、それぞれやったりするんですけれども、それが今年も2月にあったわけで、そこの碑文の中にも色んな刻まれているんですけれども、そこに沖縄戦で散華(さんげ)された方々、大阪出身の方々が2000名以上いるんですよ。
そういった事が事実としてあるわけでして、じゃあその沖縄を守る為に、大阪からもやって来て、命を落とされた、そういった方々は、じゃあどうなるの?という事なんですよ。
私はこの文章を読んだ時に、政治の手法がどうのこうのとか、そういう前にですね、どう表現したらいいのでしょうか、あの、こんな言葉を自分の地元の大阪で、そういった方々がいらっしゃった事があるのに、それを捨石という風にしてすり替えて、
自分の中で、そんな言葉がよく使えるなと思ったんですよ。
なんか、自分に正直とかそういう話とは違うかもしれないんですけれども、どういう気持ちというか、生き方というか、
自分達の祖先の歴史、そういったものを踏みにじってまで、どうしてこんな現実が出来るのかっていうのが、私はそもそもの根本としてあってですね、
ですからこれは、本当に許せないと思うんですよ。