キューバと近い沖縄の風土
ありがとうございました。
私今回沖縄にしていただくのは確か2回目で、1回目は防衛大学校で教官をしている時に自衛隊の基地の視察みたいな感じで参りましたけれども。
実はそれ以前にですね、沖縄の方々とは深い関わりがあったんですね。
それは、2000年から私2003年までキューバの大使をしておりましたけども、キューバは沖縄の日系人方々がたくさんいられたんです。
というか日系人の方ほとんどは沖縄の方で、出身の方で。
沖縄県人会が日本人会というような感じでした。
私の大使の公邸で働いてくれてる、ローカルスタッフの一人が糸数さんとおっしゃる方で、沖縄出身の素敵な中年まではいってくれませんでしたけれども、素敵な三世くらいの方でしたけれども。
沖縄の気候とキューバの気候は似てるんです。
ですから、おそらくキューバに移民された方、左党の関係で移民された方多かったと聞いていますおりますけれども。
沖縄と、とても風土が似ていると感じられたんじゃないかという気がいたします。
キューバの方の、食生活というか食事の嗜好ですね。
それも沖縄の方と似てて、豚が好きなんです、豚と鳥でした。
だからそういうところにも、なんか共通項があるような感じがしましたし。
それから、キューバというはあれは島で沖縄よりもちょっと大きな島なんですが、キューバというキューバ島そのものが、かつてコロンブスがですね、世界で一番美しい島と、名付けたぐらいに綺麗な島なんですね。
それは綺麗なだけでなくて、一つの気品がある島でした。
木々の一つ一つもね、それとなく気品があるといいますか、木にも皆さんお気づきになったかもしれませんが、そういう気品があるんですね。
そういうことでね、私沖縄の方も沖縄の移民の方が何故キューバ島に来られたかっていうのが分かるような気がして。
やはり沖縄も、綺麗な島ですしそこに一つの気品があるんですね。
それは皆さんが中におられると、気づかれないかもしれませんけども。
外から見ますと、気品というものですか沖縄という島が持つ、島の性格ですねそういうものがあるんだろうと。
我々は、この広い日本列島に住んでますけども、やはり外国から来た方が沖縄も含めてこの日本に同化したという気持ちが分かる気が改めてしたんですね。
それで、日本から移民された方はそのキューバにいらした方、それからアメリカから何かその他のいろいろブラジルも含めてありますけども、皆さんその国に同化しておられるんです。
これは、他の移民の方とは違う一つのパターンだったんですね。
アメリカは皆さんご存知ですけども、未だに多くの国から移民でやってくる人が皆元のアメリカに同化せずに、自分の祖国の文化っていいますか習慣をそのまま持ち込んで、ずっと持ち込んでる。
そいういう民族といいますか、国が多いんですけども日系アメリカ人の方っていうのは、本当にアメリカに同化されてるわけですね。
ですから、他の国のように国の名前を出しては悪いんですが、だいたい隣国になるんですがアメリカの中で反日運動なんかするわけですよね。
アメリカ人としてやるというのは、考えられないことですから。
ですから、自分の出身の国の為にやってるわけです。
でも日系人の方はいい意味で、日本のそれは日本を恋しく思っても日本の為に何か他国を貶めるとかそういうことはなさらないわけですね。
それは我々は誇っていいんだと思います。
我々はやっぱりそういう日本人として、ずっと我々の生命を引き継いできてるわけですね。
ですから、他の人を貶めたりそういう事は我々の生き方に反するものだって言うのが、世界に移民された日本人の方も含めて我々が引き継いでる伝統だと言う事を改めて思いましたので。
一言、お誕生日のお祝いのお返しとしてお話させていただきました。
改めまして、ありがとうございました。
馬渕先生ありがとうございました。
特に沖縄もですね、日本国はよそから来たものを土着化させる力が強いと先生おっしゃってたんですが、沖縄もその中でも非常に強い力があると思いまして。
言いますのも、沖縄にはよく本土からいらっしゃった方が沖縄病と言われるんですが、沖縄大好きになって沖縄にも移住されると。
長年住まれますと、日に焼けて色黒くなってウチナーンチュよりも沖縄の人みたいに見えたりしてですね。
非常にその力が沖縄強いかなと思いました。
北方領土を返還しないプーチン大統領を信用出来るのか?
ここで質疑応答に移らせていただきたんのですが、事前に私の方にいくつか質問がきておりますので、こちらから先に先生にご質問させていただきまして、残りの時間を皆様から質問頂戴したいと思っております。
まず最初なんですけれども、ご講演の中でもプーチン大統領の話、ロシアの話などがあったんですけれども。
日本は北方領土を返還されていないということで、そのことを持ってロシアに対して本当に信用できるのかとか、心情的にわだかまりを持っている人がたくさんいると思うんですけども、
そういう人たちも含めて先生のお話をスムーズに理解できるような、ロシアの評価といいますかお話を頂戴出来ますでしょうか。
ロシアの評価というかお願いいたします。
本質を突いたご質問だと思うんですけどね、類似の質問はよく受けます。
一つ最初に、前提と言いますかね頭に入れておいていただきたいのは、ソ連とロシアは違うということですね。
私たちはどうしても、ソ連のイメージ今のロシアを見ている可能性があるんですね。
先ほども講演の中でちょっと申し上げましたが、ロシアもまたソ連という共産主義体制の犠牲者でもあったわけなんです。
そのことを、非常に明確に認識しているのが実はプーチン大統領なんですね。
ロシアが崩壊して何が起こったかというと、エリツィン大統領の下で急激な民営化というものが行われました。
市場経済化ですね、それはアメリカの経済学者が乗り込んできて新自由主義の学者が乗り込んできて、一挙に市場化というか価格統制を廃止して、民営化を図ろうとしたわけですね。
それでどうしたかと言うと、ロシアは大混乱に陥ったわけですね、経済がね。
元の物価は、いわゆるハイパーインフレのように上がる。
それで、要するに商才のある人がその中で上手く生き延びて、元々そのソ連時代には国有だったんですが国家の様々な資源を、つまり民間企業としてその手中にしたと。
それが、ロシアのオルガリヒというか新興財閥と呼ばれる人たちなんですね。
ところがその7つくらい大きな新興財閥が出来たんですが、その内6つははっきり申し上げますがユダヤ系の人だったんですね。
まだたくさんユダヤ系の人が残ってたんですね、ソ連というかロシアになった時に。
そういう人たちが、商才があるもんですからロシアの富をいわゆる自分たちの企業、自分たちの立ちあげた企業がロシアの資源を奪ってしまったと、こういう状況にあったわけですね。
そういう人たちが、エルツィン大統領を影から支えていたと。
そこへプーチン大統領が登場して、そういう政商の人たちに対して政治に口は出すなとビジネスはしてもいいけれども、政治に口は出すということで彼らの横暴、いわば横暴ですが抑えにかかったわけですね。
次から次へと、その人たちがロシアを去ったりあるいはプーチンに恭順を表したり、恭順のようをした人もいましたが、そういうふうにしていわゆる政商の方々の横暴を抑えてきたと。
というのがプーチンが大統領になってからやったことなんですね。
ホドルコフスキー事件と米露の冷戦
ちょっと話が長くなるんですが、典型的なのが2003年に起こったホドルコフスキー事件というんですが。
もう今忘れ去られていますけども、実はこの事件をきっかけとして米露の本当の意味での私は冷戦が始まったと思ってるんですが。
そのホドルコフスキーという人は、いわゆる民間の石油王と言われてた人なんですね。
画像出典:Sikeradó
その石油会社の社長のホドルコフスキーが自分の自社株を、エクソンとかモービルのメジャーに売り始めた。
そこでプーチンが待ったをかけて、ホドルコフスキーを逮捕をしてシベリア送りにしたと、いうところから米露の本当の意味での冷戦始まったと私は思ってるんですね。
それ以降プーチンに対する暗いイメージ、マイナスのイメージというのが意図的作られてきたわけです。
それまでは一旦は、ロシアを抑えたつもりでいたわけですね。
ウォール街の資本家であるとか、いわゆるメジャーと石油メジャー、資源メジャーと言われる人たちが、それに対してロシアの資源はロシア人がコントロールすべきだというのが、プーチンのいわば哲学だったわけですね。
だから、そういう背景があって自分たちがビジネスを自由でロシアで出来ないから、その環境はプーチンだというイメージが作られてきたと。
それが基本的には、今日まで続いているということだと思います。
なるほどね・・
モルデカイモーゼの(久保田氏?)言ってる事と一致してる部分が多いね・・