日本人に今求められる精神武装
だけどもそれにまず気づくっていうことが国民の自衛と私は申し上げますが、常々申し上げているように国民が精神的に自衛しなければならない。
より過激に言えば、精神武装が必要だということの意味はここにあるわけです。
あの報道が、スクープが行われたときに、これは何か問題であるというふうに多くの国民の方、ピープルが気づくかどうかということで、物事の動きの方向はもう決まってしまうわけですね。
残念ながらその時気づかなかったといいますか、気づけなかったといいますか、まあいわば不意打ちでしたからね、ああいう発表は。
で、今日を迎えているということだと思います。
メディアが総理大臣よりも力を持つ日本の現実
その中でおそらく安倍総理、当時の安倍総理にとっても、いわば寝耳に水であったんではないかという気がしてなりません。
しかし、一国の総理大臣が知らなかったことが、報道機関のスクープでこれほど国を動かすような大きな問題が、総理の耳に入る前に報道機関がスクープするということ自体が異常なことだというふうに、ピープルが、私たちが気づかなきゃならないんですね。
それを早く気づいていれば、今日のような事態にはならなかったんだろうと、これは後知恵になりますが、そう思えてならないわけです。
天皇と日本国の生存の深い関わり
私はだからその報道に接したときに、これは日本の国全体に対して大きな危機が迫っているという思いを抱かざるを得なかったわけですね。
ですからそれ以来今日まで、この本でも触れてます、非常にかなりのスペースを割いて皇室の問題に触れておりますけれども、そういう危機感がその時以来ずっと私の頭の中にあったわけですね。
それはなぜこんなに重要かというと、戦後教育を受けた私たちにはにわかには結びつかないんですが、実は日本という、日本を理解するっていいますが、日本の生存といいますかね、国家の生存はひとえに天皇陛下の生存と関わっていることなんですね。
こういうことは戦後教育で一切触れられなかったわけです。
私たちが戦後教育で習った天皇陛下の地位っていうのは、憲法にある国事行為をされる方ということですね。
しかもそれですら、今の、聞くところによると学校ではまともには教えないという、どうもそういう実情らしいんですけれども、そういうこと自体が異常であるということすら、今多くの人が気づいてないということですね。
日本人に隠された国体の正体
簡単に言えばこういうことです、日本の、私は国体という言葉を使いますが、国体というのは国のかたちのことですね。
どういうことか、これを英語で言いますと、なんのことはない、コンスティチューションなんですね。
ところがコンスティチューションというのは日本では、憲法と訳されてるんです。
だから今の日本国憲法が、そういう意味では国体だと、まあ国体だという観念がないんですけれども、憲法がすべてだとか、憲法が国の基本だというふうに学校では教えるわけですね。
学校だけじゃない、メディアもそういうふうに言っているわけですね。
しかし、違うんですね。
憲法というものは、コンスティチューションというものは、国体なんです。
そうすると、今の私の解釈は前にも、いろんな機会に申し上げましたが、憲法というのは、単に国体の一部をその時々の環境に合うように文章化したに過ぎないわけですね。
憲法学者が知らない日本国憲法の正体
もうおわかりのように憲法よりも、憲法って言うのはこの日本国憲法のことですが、日本国憲法よりも日本の国体の方が上にあるんです。
こう言いますとね、日本の憲法学者はみんな失職するんですけどね。
失職するというか、日本の今の憲法学者はほぼ例外なく、今の日本国憲法の条文を解釈しておられるに過ぎないわけですね。
しかし、それでは憲法というものがわからないんだと、残念ながら。
そういうふうな教育、これは戦後、大学まで、あるいは研究者までそうなってしまったのは、これはGHQの巧妙な工作であったと私は思っておりますが、この国体というものと憲法というものが分離されてしまったということですね。
我々は憲法は知ってても国体は知らない、国体とは一体何かということになってしまったわけですね。