東西冷戦が八百長だったという現実
そういう中で、実はこの中にもありますけど、ちょっと前に戻るとですね、冷戦も実はやらせだったというね。
これは今の論理から見るとごく当然の、ああそうかと。
まぁ、たとえば日本でいうと、自民党と社会党が実は対立していると言ってたけど、結局同じ穴のムジナだったっていうかね。
それと同じように、冷戦ですら、今でいうディープステート、こういう人たちが実がコントロールしてたんじゃないかという感じですね。
アメリカとソ連を操り対立させた勢力の正体
おっしゃる通りで、だから今、事実上9割9分の方がね、国家単位で考えていると、社長も指摘されましたけどね。
それだと冷戦が、八百長だとは絶対見えてこない。
ところが当時のアメリカという国家とソ連共産主義国家を、操っていた、っていうのは言い過ぎかも知れませんが、背後にいて、お互いを対立させていた勢力がいるという、その補助線を一本引きますとね、第二次世界大戦終了後のさまざまな、不可思議な国際情勢の意味がわかってくるんですね。
その中で、私も指摘してたんですが、まずは朝鮮戦争ですね。
朝鮮戦争っていうのは、国連軍と北朝鮮軍、のちに中共の義勇軍も含めて戦ったんですが、当時の力関係からいえば、軍事力からいえば、アメリカが負けるはずがないわけですよ、簡単に制圧できるはずですね。
だけど、しかし制圧できなかった、というかあえてしなかった。
それはなぜかということを考えたところでね、考え始めたら、東西冷戦というのはやらせだったんだなということになるのが、だんだんわかってきたということです。
読者の方はもうすでにご存知の方も多いんですが、簡単にいえば、マッカーサーですね、国連軍の総司令官としていて、マッカーサーがいろいろ、そののちに入ってきた中共軍を叩くためにいろんな戦略をね、ワシントンの許可を求めると。
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一番典型的なのは中共軍が入ってくる鴨緑江に架かった橋を爆撃すると。
そういう許可を求めたら、何のことない、ワシントンがノーと言ってきたということですね。
その理由がね、これをなんて言いますかね、これは公開されてますからね、何の秘密情報でもないんですがね。
当時のワシントンのマッカーサーに対する司令って言いますかね、司令はつまりそのような、つまり鴨緑江の橋を爆撃するといったような、さらに戦線が拡大するような重要な問題についてはイギリスの許可を得なければならないと、イギリスの同意を得なければならないと、そう言ってきてるんです。
それはマッカーサーの回顧録にもその他のいろんな、トルーマン回顧録とかいろいろ調べてみると書いてある。
つまり、イギリスがイエスと言わないとアメリカは重要な作戦を立てられなかった、これも不思議なんですね。
隠された朝鮮戦争の真実
世の政治学者はね、第二次世界大戦の結果、世界の覇権はイギリスからアメリカに移ったと言ってるんですよ。
いまだに多くの方が言ってますね。
でもそうじゃないんですよ、全然覇権はイギリスに残ったままだったということなんですね。
それは、イギリスという国で我々は見るから間違うんで、イギリスのシティであり、アメリカのウォール街っていうのはもう同体ですからね。
そういう人たちの一定の戦略のもとに朝鮮戦争が行われたと。
その証拠は、アメリカがあえて勝たなかったということ以外にもね、あのスターリンがアメリカに協力したんですね。
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これもね、国際政治学者は誰も説明してくれない。
安全保障理事会で、ご承知のように国連軍を作るわけなんですが、そのときスターリンのソ連は欠席したんです、ということは事実上、OKしたんです、黙認したんですね。
だからそういうことを考えますと、東西冷戦とは何だったのかと。
このことを歴史学者なり、あるいはその他の評論家の方も一切言わないわけですね。
もうそれの予見として朝鮮戦争はなにか突如起こった。
ところがその朝鮮戦争に、北朝鮮に対して韓国を攻撃していいよっていう餌を撒いたのはこれはアメリカで、これはご承知のように、有名なアチソン演説になるわけですね。
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1950年の1月にアチソンが、南朝鮮って言ってますが韓国は、アメリカの防衛線の外だって言っちゃったわけですね。
そうすると、金日成にどうぞどうぞと、攻撃したってアメリカは関与しませんということですからね。
そういうことが朝鮮戦争を調べていくと分かってくる。