偉人が語る世界の現実
例えばニッコロ・マキャヴェッリ、人間の事柄すべて流転してやまないものであると、釘づけにしておくわけにはいかないもので、それらは上り坂にあるか、または下り坂にあるかのどちらかしかありえない、我々は、多くのことがらを行うのに、理性に導かれてではなく、必要に迫られてやっているに過ぎないと。
理性で判断しても選びようがなくなっちゃってるということで、上り坂にあるか下り坂にあるかしかないということです。
あるいは19世紀、ドイツの政治経済学者フリードリッヒ・リスト、大国民は現状を維持することがない、それは発展しなければ衰微するものであると、こういう言葉を残しています。
他にも20世紀、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット、国民というものは常に創造されているか、あるいは破壊されているかであると。
みんな偉い人は同じことを言うわけですね。
要するに国家というのはもう一旦没落の道を歩み出したらもはや逃れられないということですね。
かつてマーガレット・サッチャーも力強くこう言いました、この道しかない、There is no alternative、そう、オルタナティブっていうのはないんですね。
一国の没落、一国が没落にロックインされると、もうどうかしようと考えても無駄です。
いやむしろ逆で、考えれば考えるほどスイッチングコストの高さというのが分かりますと、そうするとますます抜けられないからますますロックインにはまり込んでしまうと、没落の道しかないんですから、オルタナティブなんて考えたって無駄です。
意味がない、仕方がないってことですね。
だから、ブルースリーはこういったわけです
考えるな、感じろと。
珍しくもない国の没落
歴史上ですね、没落の運命にロックインされてですね、どうにもならなかった国はいくらでもありますので心配には及びません。
全く珍しくもないと。
という事は、我々が生きる現代の世界というのもまぁ、歴史上ありふれたエピソードの一つ、没落という歴史上ありふれたエピソードの一つに過ぎない、まぁそういう程度事でしょうという事ですね。
ではまぁ、すっかり暗くなった所で、そういう没落の時代というのを我々はどう生きたらいいのか。
こういう時は、再び過去偉人の言葉を参照してみる。
苦難を乗り切るニコロ・マキャベリの言葉とイタリアの没落
まずはもう一度、ニコロ・マキャベリ
けれども、なにも諦めることはない。
なぜなら、運命が何を企んでいるかも分からないし、どこをどう通り抜けてきて、どこに顔を出すものか、皆目見当もつきかねる以上、いつどんな幸福がどんなところから飛び込んでくるかという希望を持ち続けて、どんな運命にみわわれても、またどんな苦境に追い込まれても、投げやりになってはならないのである。
彼の言葉には、わずかに希望が残っています。
私の講演をこの言葉で締めたいところなんですが、残念ながらマキャベリ自身は、イタリアの没落を食い止めるのに失敗していますと。
西洋の没落をあらわしたシュペングラーの言葉
そこで、もう一人の偉人の言葉を聞きましょう。
没落と言えば、やっぱり西洋の没落をあらわしたオズヴァルト・シュペングラー。
この人をおいて、他に無いでしょう。
今日の講義は、この言葉で締めたいと思います。
聞いてください、シュペングラー
われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定めらえれているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。
これ以外に道はない。
希望がなくても、救いが無くても、絶望的な持ち場で頑張りとおすのが義務なのだ。
ポンペイの縄文の前で、その遺骸が発見された。
あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。
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彼が死んだのは、ヴェスビオ火山のときに、人々が彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。
これが偉大さであり、これが血すじのよさというものである。
この誠実な最期は、人間から取り上げることのでき<ない>、ただひとつのものである。
以上で私の発表を終わります。
ごきげんようさようなら。