認知症が報道されると認知症が増える
起きたら一生懸命エサをついばみ、子供を守り、そして集団の中で行動するという、そういうことをしているわけですが、人間の場合は初めての脳の生物、大脳支配生物ということで、面白いですね。
例えばこの前言ったように、認知症が報道されると認知症が増えるんですよね。
マスコミによって作られた病
その1番極端なのが熱中症ですよね。
熱中症というのは1994年に、いわば作られた病気なんですよ。
その前ももちろんあったんですよ。
日射病とか。
そういうのがあったんですが、それを全部まとめて熱中症という病気を作ったんですよ。
そしたら今まで全然病気になるような環境でないのに、みんなが熱中症にかかっちゃうんですよね。
中には命を落としたりするわけですよ。
それからダイオキシンなんかもっとひどいですね。
ダイオキシンが動物に対して強い毒性を持つと分かったのが、1990年くらいなんですよ。
それから人間に対してはあまり毒性がないということが分かったのが、約2000年なんですよ。
そうしますと、この動物に対してダイオキシンが非常に強い毒性を持つと分かった1990年から、突然ダイオキシンの病気というのが世界各国で出てくるんですよね。
焚火したら危険だとかいうことになるわけですよ。
ところが、人間は昔から焚火をしていますからね。
焚火が悪いんだったら、江戸時代からダイオキシンの病気ってあったはずなのに、出ないんですよ。
テレビに、ウクライナの大統領のブツブツした顔が出てきて、ダイオキシンだというわけですね。
ちょっと煙に当たったくらいでダイオキシンであんなにブツブツと顔に出るなら、それは囲炉裏か何か、煙だらけのところで生活をしていて、ブツブツの人がいっぱいいたはずなのに、いないんですよね。
これは現在のタバコの副流煙も一緒なんですけど。
ところが2000年になって、だいたいダイオキシンというのは人間に対して毒性が非常に弱いということが分かり、2004年くらいからダイオキシン報道自身がなくなってきたんですよね。
ダイオキシン報道がなくなると、それから14年前の1990年以前のように、ダイオキシンの患者さんが出ないんですよね。
だから実に人間というのは生物の摂理、生物の現実の上に、さらに大脳の血管というのが乗っていて、それをメディアがいい加減に扱うものですから、
我々は、突然安倍首相が1強と言われて、ほとんど安倍さんがオリンピックまでずっとやるんじゃないかと言ったのが、今にも倒れそうになるという、現実となって表れるんですね。
面白いですね。
そういう点では、ここでは毎日というのを少し取り上げてみようと思うんですね。
我々の毎日というのはいったい何だろうかというのを少し取り上げながら、生活の知恵なんかを考えていきたいというふうに思います。
一番大切な毎日の食事
毎日が一生のようであり、一生が毎日の積み重ねでもあるという話をいたしましたが、何と言っても毎日で一番大切なのは、食事ですね。
人間はずいぶん今では繁栄しておりますから、食事を食べることだけがもちろん人生ではなくて、エンゲル係数といった、食事に使うお金ができるだけ低いほうがいいというような動物になったわけですけど、ほとんどの動物は毎日食べることに一生懸命なわけですね。
例えばハトにエサを撒く。
すると、ハトが一生懸命エサをついばむのはみんな知っているわけですね。
他のことになりふり構わず、自分の身が安全であるとすれば、食べるということが1番大切なわけですね。
それでテレビというものができて、そして多くの人に知識とか情報がいくようになったのはものすごくいいことで、テレビは評価できるわけですが、だからと言ってテレビが全ていいわけではないですよね。
特に、非常に便利なもの、非常に役立つものというのが、かえって欠点を持っているわけです。
テレビが出来るまでの人間と出来た後の人間
その欠点が、ついうっかりテレビを見ると信じてしまうという、そういうことですね。
というのは、人間は今まで、テレビができるまではどういう状態だったかというと、目で見るものは、実際に自分が目で見た事実と、お芝居とかそういうふうに非常に加工されたもの、絵とか、そういったものしかなかったんですよね。
だから目で見たものを信用して、それが頭に入り、それによって判断するということは、人間の長い歴史の中でずっと続いてきたわけですね。
ところがテレビというのができて、突如として、自分が見る現実と、もう1つ箱の中に演じられている現実というのが、2つ出てきたわけです。
箱の中に出てくる現実が本当に現実ならいいんですけど、それがテレビ局で編集されて加工されたものであるということが、非常に問題なわけですね。
これが現在の社会のひずみの多くを作り出していると、私はそういうふうに思っております。
女性の解放と社会の変化
それに加えて、女性が解放されたということですね。
これもすごくいいことなんですよ。
テレビができるとか、女性が解放されるというのは非常にいいことなんですが、女性が解放されれば、それに伴ってちょっと不都合なことも起こるわけですね。
昨日ちょっと書きましたように、到底防衛大臣とは思えないような態度をとる、自防御的防衛大臣が出てきたり、そういったことも起こるわけですね。
ここのところ小池都知事もちょっと政策なくやっておられるし、ヒラリークリントンは落ちてしまったし、イギリスのメイ首相も選挙を打って大敗北してしまったし、豊田議員のヒステリーな発言だとか、上西さんは僕は個人的によく知らないんですけど、あまり評判も良くない。
それから小渕さん、首相のお嬢さんも、収賄でもう議員をやめられた感じになっておりますし、また復活されるかもしれませんが、それから法務大臣でうちわを配ったと言ったのも女性でしたね、それから蓮舫さんも女性ですね。
あまり本当のことを言っておられるという気がしないんですけれども、こういった問題はやっぱり女性の進出とともに、非常に素晴らしくいいわけですから、男女同権というのは当たり前のことですね。
そんなこと言うまでもないわけですが、そういうのが現実になって非常にいいんですが、半面やっぱり欠点が出るわけですよね。