昨日は晴れ、今日は朝
このブログでは、日本の骨格みたいなものとか、歴史的なものとか、幸福の問題とか、割合と長期的なものを扱ってはいるんですけれども、一方で私は人生というのは毎日以外にあるのかなと、ちょっと思うんですね。
私がよく色紙に、「昨日は晴れ、今日は朝」と書くわけですが、昨日は土砂降りだった、つまり不運なことがいくらでもあった、嫌なこともあった、だけど昨日は返ってこない、
だから土砂降りであっても昨日は晴れだと思えば晴れなんだと、だから昨日のことはもう忘れようというふうな意味なんですね。
それで今日も朝、今日も起きていたらベッドの上で寝ている、健康だ、よかったなと。
じゃあ今日1日頑張ろうかと、こういう感じで、「昨日は晴れ、今日も朝」と書くんですが、これはいったい何かということですよね。
つまり一生というと非常に長いし、原理原則と言っても根本的なものなんですが、結局は今日1日だけなんじゃないかという気もするんですよね。
だから今日朝起きて、ご飯を食べて歯を磨いて、顔でも洗ってさわやかな気持ちになって、それで仕事をしたり趣味をしたり、いろんなことをしながら人の世話をしながら生きていく。
そして晩になるとだんだん夕方になり、今日も終わりになり、風呂に入ったり反省したりいろいろして、そしてお酒を飲んだり飲まなかったりして寝ると。
そうなりますと、1日1日っていう感じがしないでもないんですね。
その最初が長生きの根本ということで、毎日というものと一生というのは、また全然違うようで密接につながっているなと思うわけですね。
寿命の3つの原則
生物の摂理については、このブログでも何回かお話をしてるんですが、例えば寿命というものを考えますと、3つの原則があると。
第1原則は、経験の数の法則だと。
例えばネズミとゾウを考えますと、ネズミは1年くらいで死に、ゾウは20年くらい生きる。
僕らは普通そういう現実をそのまま受け入れているわけですが、おかしいんですよね。
だってネズミもゾウも基本的には筋肉も骨も皮も、免疫系なんかの防御系もほぼ同じようにできているんですね。
ですから同じようなものが同じように生きるとしたら、ネズミも20年ならゾウも20年のはずなのに、ネズミはピンピンのまま死に、身体が新しいうちに死に、ゾウは古くなってから死ぬ。
これはネズミの行動が素早くて、ゾウの行動がのろいので、その行動の速度の比で決まっていると。
ネズミが1秒ですることをゾウは20秒でするから、ネズミが1年生きればゾウは20年生きるということになって、結局動物の一生というのは時間では決まっていないで、時間ではなくて、その動物が何回振り返り、何回ご飯を食べ、何回寝たかということで決まるというわけですね。
非常に不思議ですよね。
しかしそれが原理だと。
ネズミは新しいまま死ぬと、こういうわけですね。
第2の摂理が命ですよね。
命と言っても個体の命。
例えば、私の命は大切にできないですよね。
いくら大切にしたって、50年で死ぬか100年で死ぬかというような差ですから、いずれにしても割合と早い時期に死んでしまう。
しかし、父親が結婚し、自分が結婚し、子供が結婚し、孫が結婚していけば、命はずっと続くわけですね。
私の命が本当にあるのかというと、これもよく分からないですよね。
むしろつながっている命こそが命であり、だからそれを守るというのが非常に重要だということで、多くの動物では自分の身を投げ出しても子供を生かすという行為が、いくらでもあるわけですね。
3番目は、我々はやっぱり仲間と一緒に生きるしか生き方がないということですよね。
自分の生きる価値というのはないんですよね。
自分1人が生きる価値というのはなくて、みんなで一緒に生きると自分も生きている価値が出るということですから、みんなから感謝されることが生きることであるというふうにも言えるわけですね。
ですから私は時々言うんですが、人間以外のメスは生理が終わったら死ぬ。
何で生理が終わったら例外なくメスは死ぬかと言ったら、メスは生理がなくなったら子供を産めませんから、生きている価値がないんですね。
だから死ぬ。
自分自身が健康であるということと違うわけですね。
そして、人間の場合だけはおばあさんは社会に貢献する、つまりお世話をするということができるので、それで生きているというふうに考えられるわけです。
オスも同じで、一夫多妻のオスはボス争いをして、1匹だけ、ボスだけ残って、あとの敗れたオスはすぐ死ぬんですよね。
別に病気になっているわけでもないんですよね。
こういった命の摂理というのは厳然として存在する。
さらには、生物の現実というのがありますね。
寿命を左右する外的要因
例えば今言ったのは、生物の摂理として命が終わる原因であるけれども、多くの動物は捕食、つまり敵にやられちゃうんですね。
ライオンに食べられるとか、台風で流されるとか、それからウイルスに攻撃されて病気で死ぬといった現実があるわけですね。
それ以外に人間ですと、不完全な脳を持っていますので、鬱になる、もしくはひどくなると自殺をする。
集団的に戦争をするという、非常にいい加減なことが行われるわけですね。
だから根本的な生物の摂理があり、病気で寿命が終わるんじゃないんですよね、ほとんどは。
病気で命が終わるというのは病気が単にきっかけになるだけで、その人が社会的に意味がなくなる、何もやることがなくなると、病気にかかる。
つまりもともとは命の3原則、経験の数だとか、それから自分の子供の命を守ること、もしくは集団に貢献することというのをしなくなると、防御系が崩れてくるわけですね。
あなたは死んでもいいよということになって、しょうがないから病気になるかと、そういうようなことで、ひどいときには自殺という形で亡くなる。
そうしますと、普通の生物というのは、毎日毎日は、いわば生物の摂理、生物の現実のまま生きてるわけですよね。