金で全てが買われる社会
もう大分前のことになるんですけれども、私が大学にいる時、今でも大学なんですが、大学で現役で学生と一生懸命研究しているころと言ったほうがいいんですが、あることで、1億6千万くらいの研究費をいただいたことがあるんですね。
その時に研究3年間で1億6千万なんですけれども、これで研究を開始したら、そのうちこの研究が成功した時の工業所有権というか、権利、これの契約書みたいなものが来たんですね。
見ますと、金出したところが全部の権利を取るんですよ。
僕はえっと思って、そういうしかるべき大学の担当の人に、これおかしいんじゃないですかと。
研究は私が研究するんだから、私は実は研究の権利って一切要求したことないんですが、私はずいぶん特許を持ってるんですけど、特許は全部もう放棄してるんですね。
というのは、行きがかり上、特許をとらなきゃならないこととか、論文を出さなきゃならないことはあるんですけれども、僕は実は研究の成果を期待して研究してるんじゃなくて、面白いから研究してるんですよ。
金に魂を売らない生き方
ですから研究の結果が出れば、それで多少でも世の中の役に立つとか、どこかの会社が実用化してくれれば、御の字で、自分の権利がどうなんて関係ないから、全部権利を放棄してるんです。
後に企業からずいぶんお金をもらうんですけれども、私が研究に成功しても何の権利も主張しませんと言ったら、みんな企業の人がびっくりして、何でですかと聞かれたんですけど、そういう人生は送っていないということなんですね。
大学で給料をもらってますから。
ということで、私は権利をもらわなくていいんですけど、考え方がおかしいと。
頭脳と労働と金の割合
研究費を出しているから研究成果は自分のものだと、誰が言ってるんですかと。
だってお金だけあって、何で研究成果が出てくるんですかと。
百歩譲って、半分はお金を出している人、半分は頭脳を出している人があるじゃないですかと。
頭脳を出しているのは私なんだから、だからお金を出しているほうと頭脳を出しているほうと半々じゃないですかと。
もう少し言えば、その時は学生が実験していたわけですから、成果はお金を出した人が3分の1、頭脳を出した人が3分の1、労働をした人が3分の1って、そういうふうになるんだったらまだ分かりますよ。
それを、俺が金を出したから全部の権利をよこせって言うんですよ。
日本に権利の概念を持ち込んだ米国
それでいろいろ調べたら、実は日本はこういうことがなかったんですよね。
日本は研究して、学者や大学の先生が権利を主張するなんていうことはなかったんですよ。
ところが、みんなが尊敬してくれればよかったんですよ。
先生先生、素晴らしいですねあの発明、って言って尊敬してくれればよかったんですよ。
権利なんていうのは、日本にあんまり概念がないんですね。
ところがアメリカから権利の概念が入り、かつ研究費を国が出すなら、税金で出したんだから国が全部取るんだという、アメリカ式になったわけですよね。
僕はものすごく抵抗しましたし、僕の現役の頃だったので力もあった、そのせいもあるでしょうけども、私が研究を終わる頃には、確か大学と、大学で研究しましたから大学と、それからお国の方で1対1か何かでしたね。
だけど今はもっと進んで、発明者、これは大学の先生だけが入ってるんですけど、それから大学と、施設を提供した大学と、金を出した国になり会社なりという、3分の1ずつになっているんじゃないかと思うんですね。