なぜ人間の寿命は異なるのか?
いろいろなことを考えます時に、普通に言われていることですね。
誰か1人くらいどこかで、世界の隅のほうで言っているかもしれませんが、主流じゃない考え方、それの方に突っ込みますと、そこで急に大変になってくるというか、私は物を考えるのは大変じゃなくてなかなか楽しみなんですが、それでも困難を伴いますね。
研究でもそうで、アメリカなんかでやった研究をもう少し良くしようという時は月明かりの中で物を探しますから簡単なんですけども、世界で自分が最初にやろうという時は、どうしても暗闇の中を歩くようになるものですから、突然難しくなるわけですね。
この幸福の問題も、今まで動物の幸福の話とかいろいろしてきましたが、まだ何となく、私が今まで幸福のことで勉強したり耳にしたりしたことに近いわけですね。
ところが今日やる幸福はずいぶん難しくて、どういうふうになるか分かんないなと思いながらスタートするわけですが、例えば物理的に言うと、多数の集団は確率的に動きます。
抽象的なことを言うと分かりにくいので具体的なことを言いますと、日本人1億2700万人いますと、そのうち必ず不幸にも早く亡くなる方が、どうしてもいるんですよ。
それから病気になる人もいるんですね。
それから、120歳くらいまで生きられる方もおられるんですね。
それからインフルエンザが非常に流行した場合でも、インフルエンザにかかる人とかからない人がまたこれも、どうしてもいるんですよ。
集団が持つ確率性
この多数の集団というのは、非常に面白い性質を持っていまして、10人くらいですと、10人全員が例えば背が高いとか、そういうことはあるんですけど、多数になりますと、背が低い人もいれば背が高い人もいるというふうに、どうしてもなるんですね。
じゃあ、その背の高い人なら背の高い人がいなくなるとどうなるかというと、やっぱりまた背の高い人が1人出てくるんですよね。
そういう多数の集団は、常に確率的なんですよ。
そうしますと、私はもともと統計物理学というか、そっちのほうなものですから、どうしても動物の集団、人間の集団、それから宇宙、宇宙でも小さい星もあれば大きい星もある。
何で小さい星と大きい星があるのか。
星というのはだいたい似たようなものでできていますし、似たような作り方でできるから同じような大きさになると思ったら、全然違うわけですよね。
これは普通には分布って言うんですね。
分布なんです、分布があると言ったほうがいいですね。
多数の集団は分布がある。
ここで確率的であると言ったのは、実は幸福論を述べる時、1億2700万の人間のうち、真ん中、中心を取るのかどっちかの端を取るのかで幸福が全然違ってきちゃうんですよ。
日本人の平均的な生き方
つまり言ってみれば平均的な日本人、小さいころから普通に風邪なんかも引きながらお母さんとかおばあさんのもとで育って、小学校くらいから高校くらいまで行って、高校もやっと県立高校に入るか、もしくは私立に行くか、大学もそこそこの大学に行くか行かないか、そして就職をして、
男性でしたら就職をして結婚をして家庭を持って、といった人と、女性だったら例えば結婚して、結婚してというのが難しくて、女性で結婚する人ってだいたい今80%くらいなんですが、
80%の人の幸福を論じる場合は結婚して、と言って幸福論を述べればいいんですけど、20%の人の結婚していない人、結婚しても子供のいない人っていうのが、必ずある割合いるんですよ。
幸福論はどっちなんだ、と思いましたね。
幸福論はどっちなんだと思って見ますと、なかなか面白いんですけど、
宗教の幸福論が対象とする人
まず非常に極端なのは、宗教的幸福論の場合、お釈迦様はちょっと違うんですけど、宗教的幸福論の場合、例えばイエスキリストなんかがそうなんですが、非常に分布の確率的に悪い人、言ってみれば運の悪い人に焦点が当たってるんですよ。
運の悪い人、あなたも幸福だよ、神の国に行けるから、とこういうふうになっているわけですね。
今度はすごく幸福な人、あなたは金持ちだから天国行けないよ、とこうなっているわけですね。
すると真ん中は、と言われると、真ん中の人は、っていう感じなんですよ。