幸せになる考え方と方法!幸福とは誰のもの?人の性と幸福!科学的幸福論 その1 武田邦彦

幸福議論は貴族の幸福

我々が幸福であるとか言うのは、その当時働かなくてよかった貴族の幸福、これが今の幸福論議なのかもしれない。

つまり我々が幸福かどうかと考えるのは、まず第1に我々が暇があるかどうかということがまず問題である。

じゃあ暇があった時に、その暇をどう潰すかが幸福なのか、そうじゃなくて、毎日家族と朝飯を食べ、みんなでさあ行ってこようと言って学校に行ったり仕事場に行ったり、家庭で一生懸命洗濯をしたりして、夕方また家族が帰ってきて、そしてそこでご飯を食べて風呂に入って寝るという、そのこと自体が幸福なのか。

人間の幸福に関する2つの課題

つまり幸福というのは、人間の基礎的な生活の中に存在するのか、それとも暇なところに存在するのかということで、幸福を考えるという意味では、人類は2つ大きな課題を持っているということになりますね。

動物には幸福感はないかもしれませんが、動物に何が幸福かと言えば、おそらく敵があんまりいなくて、家族順調に過ぎて、エサも一応人生で豊かに与えられて、そのまま人生を終わると、これが幸福だとしますね。

暇な幸福というのはないということになりますね。

人間が経験した戦争と虐殺

それから、戦争が非常に多かった時代は、戦争で命を落とすのがずいぶん多かったわけですね。

戦争で命を落とすのが幸福なのかと言うと、これは幸福とは言えないでしょうね。

例えば、中国なんかは、たびたび大虐殺が起こるわけですね。

9割が虐殺された漢民族

例えばこの間お亡くなりになった岡田先生の、いろんな研究によると、中国の漢の時代の終わり、紀元200年くらいですが、漢民族の9割が殺された、9割が殺されるということになりますと、どういう生活をしても幸福とは言えないわけですね。

これは17世紀にウェストファリア条約ができてから、しばらくヨーロッパ自体を考えれば平和だったんですが、それが民主主義になり、メディアが敵愾心(てきがいしん)をあおるということもあって、19世紀の終わりから今度また戦争が討ち続くという時代に入るわけですね。

そうすると、例えば30年戦争におけるドイツの荒廃、それから第一次世界大戦後のドイツのひどい姿、それから第二次世界大戦における2000万人3000万人の死者を出したと言われるソビエト、こういうのは、また幸福と言えるかどうかという問題がありますね。

戦争の時代に生まれた幸福

ですから、戦争の時代に生まれた幸福というのが、またもう1つあるような気がいたします。

その意味では、今から私たちが検討する幸福というのは少なくとも、日常生活、生きていく上での幸福なのか、それとも暇な人生をどう生きるかという幸福なのか、

それとも離婚しないというような男女の間のこと、それから子供が順調に育つという家庭内の幸福なのか、家庭内以外に幸福という概念は存在するのかと、こういったことですね。

死が迫った時の幸福

それから病気なんかもそうなんですけど、病気というのがなぜ人間に存在するのか。

実は動物にも病気は存在するんですが、かなり様相が違うんですね、人間と。

そう言った場合、つまり死が横に近接してあるときの幸福感と、死が横に近接していないときの幸福感というのも、また考えなきゃいけないんじゃないかと思うんですね。

いずれにしても紀元前700年の大きな変革、それから1800年近辺における大きな変革、この2つと幸福論というのは、切っても切り離せないものではないかというふうに思います。

それに加えてイエスキリスト、お釈迦様、ムハンマドなんかの宗教家の幸福感というものがそれにダブってくるように思います。

人間の性と幸福

幸福を考えることで幸福関係のいろんな書物を読んでいますと、言ってみれば、頭の中で考えて幸福論というのがずいぶんあるんですね。

頭の中で考えた幸福論というのは、例えば幸福というのはこういうものだ、というふうに書いてあるわけですが、私は実は科学者なものですから、何かの根拠が欲しいんですね。

自分の頭の中で考えた根拠が欲しいんです。

例えば良寛さんが、新潟の片田舎で六畳一間のいろりで生活をしたと。

それはそれなりに幸福なんですが、どうしてもちょっと違う感じがするんですね。

ここで書いたのは、「さが」と幸福であります。

人間の本来的な性ですね、たちというか、そういったものとの関係を少し整理をいたしました。

実は男性、女性の性の幸福というのは別の機会にもう少し踏み込んでみたいと思うんですが、それよりも前に来るものは、人間としての性と幸福ですね。

動物が持つDNAの特権

まず第1に、動物というのは非常に不思議なもので、DNAというものが生物の中にできたということが、決定的だったわけです。

最初の緑藻類、ストロマトライト、こういうものは非常に原始的なDNAを持っておりまして、それではなかなか他の生物に勝てないということで、少しずつ少しずつDNAに改造を加えて、

今から5億5000万年前に、多細胞生物ができ、それから大きな気象変動で1回三葉虫なんかが滅びた後、恐竜の時代、中生代が来て、これが6500万年くらい前に絶滅してから、今度は哺乳動物というのがこの世の中に登場したわけですね。

それからずっと最後に、現在のところ人間というのがいるんですが、DNAの特徴は何かと言うと、改善に改善を重ねて、より強い生物を作るということだったんですね。

簡単に言えば、DNAというものは、組み換えができたり、増やしたり減らしたりすることができるというような特徴があって、だから自然淘汰の中で、少しずつ少しずつ強いもの強いものと選んできたら人間ができちゃった、ということなんですね。

人間の今後も、強いもの強いものというふうに求めていく、これはもうDNAの性質としてしょうがないんですね。

それは止められないんですよ。

人間の次に誕生する優れた生物

ですから、人間の後には人間よりも優れた生物が出てくるのは間違いないんですね。

ですからこの性、動物の性というのは毎年毎年改善に次ぐ改善なんですよ。

改善をしなくてはやまない、というのがDNAの特徴であります。

それから脳というのは、原始的な脳がどこから生まれたかというのはいろいろな議論があるんですが、魚類あたりを見ますと、魚類、両生類と来たんですが、爬虫類の時にだいたい本能、DNAの情報数と脳の情報数がだいたい一緒になったと言われております。

そのあと、哺乳動物はだいたいDNAの情報量に対して、約10倍の脳の情報を持っていて、脳がやや優勢になりますね。

ですから哺乳動物はやっぱり他の動物に比べて、身体的な特徴、主にDNAの特徴も優れていて、かつ脳も優れているので、哺乳動物が現在この地球上の支配者となっております。

その中で今度は人間という非常に特殊な、脳が極めて発達した動物、これは遺伝情報に対して約100倍から1000倍の情報を持っていると言われております。

この脳ができてみると、この脳もけしからないことに、改善に次ぐ改善なんですよ。

毎日改善なんですね。

かくして私たちは、最初は洞穴かなんかに住んでたんですけど、そのうちだんだん家を建てるようになったり、挙句の果てには、最近ではもう高速道路を作ったり高層ビルを作ったり、スマホまで作ったりなんかして、とにかく改善の意欲がすごく高いんですよ。

改善をいいこととするんですね。

改善を尊敬する人間の脳

我々の脳は、改善に対して尊敬してるんですよ。

ですから改善の1番トップがノーベル賞だとしますね。

するとノーベル賞を取った学者を、何となく自然に我々は尊敬しちゃうんですね。

何でノーベル賞の学者を尊敬するのって、よく理由はわかんないんですけど尊敬しちゃうんですね。

ところが、ここに大きな問題があります。

つまり、DNAにしても脳にしても、改善が良しとするんですね。

私がよく言うのは、ある主婦がお皿を洗う時に、前の日はたっぷりと洗剤を使わないと油汚れが取れなかったのが、次の日にちょこっと1滴だけ垂らしたら油汚れが全部取れる洗剤を使ったら、その次の日からはもう新しい洗剤を使わざるを得なくなるわけですね。

つまり人間というのは日々改善して改善して、少しずつ少しずつ改善して、後に戻れないんですよ。

これはDNAの特徴もそうなんですね。

すると現在DNAで頂点にいて、脳で頂点にいる人間は、本当に毎日毎日改善するんですよ。

かく言う私も、ついつい毎日ブログなんか出したりして、これも改善の方向に向かってるんですね。

改善する人間と幸福の関係性

ところがここで難しい問題が生じるんです、幸福との関係では。

改善の目的が不明なんですよ。

つまり、幸福から言うと単細胞生物でよかったかもしれないですよ、ストロマトライト。

もしくは、多細胞生物の最初の生物でよかったかもしれないですよ。

それが少しずつ改善するものですから、どんどん改善されちゃうんですね。

改善と言いましたけど、善かどうかわからないんですけど、とにかく改正されていくんですね。

最終的にどうなるか、誰も分からないんですよ。

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