優しい人が行きつく独裁と虐殺
だけどその結果は、独裁であり虐殺であり、まあ現在の北朝鮮でもあるんですね、北朝鮮が悪いかどうか、ちょっと分からないんですが、皆さんが言う悪い状態なわけですね。
それとほとんど同じ心で、ゴミを捨てちゃいけない、節約をしなきゃいけない、リサイクルしなくちゃいけない、森林の紙を…あの山を、山の木を切っちゃいけない、
ティッシュをあんまり使いこんじゃいけない、というようなことを、言われたわけですね。
それはそのちょうど共産主義で、その単純にそこだけはいいんだけど、その共産主義をするのは人間だってことを忘れてたのと同じように。
環境運動っていうのは、自然っていうのはどういうもんなんだと、自然は殺し合いもあり残虐であり、その中で調和を保ってるんだと。
まあ言うことは、考えなかったわけですね。
日本の災害を激増させた環境運動家の嘘
そこで山はきを切らなくなる、荒れに荒れる、だんだんだんだん根は細くなる、そういうふうになって流木になり、それが洪水の時には橋桁にかかり橋を壊し、
橋を乗り越え、そして付近住人に達し、今度みたいに170人からの方が命を落とすというふうな結果の一つになるわけですね。
またそういう時、獅子身中の虫みたいなのが出てきてですね、どっかの東大を退官した先生なんかが。
山の状態良くなった、山の状態良くなった、それでも洪水が起こるんだから温暖化だよ、なんて無茶苦茶なことを言われるもんですからね。
これは必ずそういう時って、そういう人もまた出てくるんですよ。
これがやっぱり、人間社会というものなんでしょうかね。
表面しか読み取れない残念な日本人
それからもう一つは、まぁ、普通の人はそういうこと知りませんからね、必ずそういう時にどっち側につくかっていうと。
良心的なことを言う、表面的に良心的なこという人の方につくんですよね。
で、したがって、どうしてもその山の木を切るな、割りばし運動と。
こういうふうになって、結局枝打ちも出来ない間引きも出来ない、針葉樹林を植えたけれどもどうにもなんない。
それで杉の花粉で苦しむ、そして洪水で多くの人の命が、命を落とす。
その人達、つまりその環境運動家という人たちがそれを反省するわけでもないんですよね。
自称インテリを妄信する事の恐ろしさ
だって、かつて日本のリベラル派、共産主義を支持した人がその後、共産主義の実態というのをソ連とか中国で目の当たりにして、結局そのことをまあ、いいんですけどね人間だからそんなに厳しくなくていいんですが。
反省もせずにそのまま密かに自分の意見を言い換えて、まあ社会にいろいろまた新しい間違いを言うということに、なんだか言ってる私も悲しくなってきたんですけども、なってるんですよね。
結局ですね、今度の洪水で命を落とした人の多くが善良な心で始まった、環境運動の犠牲になったっていうことですね。
このことは私たちは、本当は素直な心で受け止めてですね。
そして人間社会を一歩ずつ進歩させていく、共産主義が悪かった理由はなんだったのか。
環境運動が悪かったのが、なんだったのかっていうことをですね、よく考える必要があるんじゃないか。
今でもごみゼロ運動なんていうのをしてる人がいますけども、ごみゼロ運動というのは一体何をもたらすのかと。
それは、ごみがゼロの方がいいでしょうけど、ごみがゼロっていうのはもちろんいかないわけですね、人間死なない運動みたいなもんですから。
人間死なない運動ってのはそれいいですよ、人間病気にならない運動、これみんないいことなんですね。
だけどもやっぱりそこには自然の摂理に反する問題点があると、まあそういうふうに言えるんじゃないでしょうか。