法と倫理は対立概念
ですから、法と倫理てのは酷ければ対立概念なんですね。
そこにですね、法律の専門家である弁護士が入ると倫理を法律的に処理しちゃうんですよ。
私はまぁ何回もそういう経験をしているんですけどね。
いや、先生自分違う弁護士の人に、これ先生違いましたこれ法じゃありませんから倫理ですからと、僕一生懸命言うわけですね。
倫理てのは倫理の考え方があるわけですね。
だから、法とはまったく違うわけですよ、法っていうのは社会的にこれはしてはいけない、あれはしてはいけないということは、我々が選挙した国会議員の投票で決まって、社会全体でそれを守ろうと約束したもの、これが法なんですね。
倫理は全然違いまして、そういう手続きをへせずに、例えば相手に聞いて相手がこれでいいというとかですね。
歴史的に風土的にこれはどうだとかを議論するわけですから、法の議論と倫理の議論って全然違うんですよ。
ですから、倫理に抵触しなくても法に抵触するってのはいくらでもあるんですね。
それは法律的にはいけないと決まっているけども、倫理的には別に問題はないなんつのは、これはいくらでもあるわけですね。
法律家が倫理を語ってはならない理由
ですから、法律家が倫理に立ち入っちゃいけないんですよ。
どうしていけないかっていうと、法律家は法はよく知ってますから、やっぱり、それに引きずられますね。
法は正しいとか間違ってるか、倫理的にいいか悪いかってのと違うんですよ、社会的な約束なんです。
ですから法はちゃんとした手続きに基づいて作り、それを裁判ていうのを通じて世の中に、世の中のある仕事をしていくってのが司法の人、つまり裁判官、検事、弁護士なんですね。
ですから、それをですねちゃんとやって欲しいと。
人権を無視する日本の司法
そういう意味では弁護士は本業に戻る。戻れと書いたんですが、まず裁判における無罪率の目標を作って日本弁護士会はそれを明らかにし、それが日本弁護士会が言っている人権が最も重要なだということを宣言し、それに近づいていくってことですね。
それから法と倫理は全く違うので、弁護士が倫理委員会とか第三者委員会とかに入っちゃダメだっていうこともちゃんと宣言して欲しいんですね。
それから、現在の日本の司法ってのは非常に人権無視の問題があるんですよ。
例えば裁判官と検事は人材を保留して裁判官が時々検事になり、検事が時々裁判官になるっていうに流通しているので、検事と裁判官はどうしても癒着しちゃうんですね、それは当然ですね、そういった制度の改革。
もしくは裁判官の出世っていうのは、例えば最高裁の事務総局とか、まぁいろんなところで握られていて中々裁判官が自由な判決ができないっていう問題とか。
そういったですね、個別の刑事事件の判決は有罪率で決まりますが、日本の司法制度全体のがですね日本人の人権を守るようにちゃんとなっているのかと、それから裁判の実態がそうなのか。
それから、裁判官の出世とか出世しないってのは本当に裁判の根本を守ろうとして決まっているのか。
それともある特定の政治団体とか権力団体とかに握られているのか。
ここら辺がですね、日本弁護士連合会が頑張るところでないかと言うふうに思うんですね。
左翼運動家と化した日本弁護士連合会
そういう点で全体としていうならば、これは私も学者として恥ずかしいんで御用学者とかいますからね。
御用弁護士・御用学者まぁそいういうもので囲まれた日本っていうのはですね、あんまり新しい発展をしないと思うんですよ。
やっぱり学者は学問に忠実に判断して、御用学者の登場を許さない。
弁護士は本業をしっかりやって、その本業がしっかりできれば他の事ちょっとやってもいいけど、有罪率が99.9%であり日本の司法の仕組みがですね、非常にこう非合理的にできているにも関わらずそこには手を付けず、
なんか左翼運動化しているような風に見える、日本弁護士会がですね、大きく変換することを望むわけです。
その意味では人格、形式お金、僕らからみてお金に執着してるなって弁護士はすごく多いんですけども、そういう感じのしない弁護士というものがですね登場してくることを非常に私は期待しております。
日本人ってのは本来きちっとした考えを持っているので、学問の分野での御用学者の追放とそれから弁護士の一人一人もしくは団体がですね。
本当に見識のある司法というものを通じて日本人の人格をきちっと守っていくと、そういう本来の仕事に戻ってもらいたいと切に希望しております。