独立会計となった現代の夫婦
しかも我々の時代には、まだもらった給料は全部女房に渡すというのがしきたりでしたけど、現在では独立会計ですね。
そうすると、女性の方は子供を産み育児をし、台所をし洗濯をし、そして自分で稼ぎということになりますから、しかも子供は託児所に預けなければいけない、託児所は不十分である、国は女性に働けと言いながらそういうシステムを作っても託児所を整備しない、というような無責任体制の中で、
女性の20歳くらいから55くらいまでの閉経までの人生というのは本当に不安定で、ゆっくりとした生活ができないでいるわけですね。
テレビで重宝される利己的な女性たち
私はこれは、あえて批判を覚悟で言うんですけど、時々女性のテレビに出る人とか指導者とか議員さんに会うと、女性の議員さんとかテレビに出る人には悪いんですけど、ちょっと利己的なんですよね。
自分が、自分がと言うんですよね。
自分は恵まれてたりするんですよ。
割合お金のある家だったり、お母さんが近くにいてずっと育児を手伝ってくれた、それを言わずに、私はこうできたというんですね。
私はこうできたというので聞いてみると、そりゃあできたでしょうね、それだけお金があって、お母さんが近くにいて育児を手伝ってくれたならできるでしょう、だけど女性はみんなそうなんですかと言うと、
女性特有と言うとまた女性の方から怒られるんですけど、自分がよければいいやというところがあるんですよね。
今は男性よりも女性の地位の方が上である
だから自分がよければいいやで、今度の憲法改正でも、この際やっぱり女性の地位を上げるというか、充分に上がりすぎて実は逆効果が出ているんですね。
地位はもう今女性の方がずっと上なんですよ。
だって消費活動も8割は女性ですしね。
男は働き女は買い物をするってなっているわけですから、そういう標準的なことだけではなくて、
例えば子供ができたらどうしようか、やっぱり働きたいし子供もかわいいし、じゃあ子供を産んで子供がかわいいというのも当たり前で育児を一生懸命やるのも当たり前、それから家の中だけにじっとしていたらとてもたまらないので、外に出て働きたい、それはみんな当たり前のことですね。
この世の中は半分が女性で半分が男性なんですよ。
女性が安心して子供を産めない理由
その女性が安心して子供が産めないというのは、託児所を作ることじゃなくて、自分を強く愛してくれる男性、それから安定した家庭、働きに出ようと思ったら働きに出れる環境、そういったものを総合して女性の幸せっていうのは来るわけですね。
男性の方は今戦争がなくなったし、それから子供を産むことがないから、女性は30くらいまでに2人の子供3人の子供を産んで苦しむわけだけど、男性は別にその間酒を飲んでいればいいというので、非常に不均衡なんですね。
だからこういった憲法改正の時に、やっぱり日本人の半分は女性なんだと、憲法は女性のためにあるんだと、そういう声がやっぱり女性議員から出て来ないですよ。
蓮舫さんと言う民進党の党首がいますけど、全然違うことを言っていますよね。
だから、女性の議員ということに限りませんけど、それで自民党から家庭というものを入れようかと、これも考えられますけど、自民党が言っている家庭というのは、実は古臭い、親父が威張っている家庭のようなイメージがするんですよ。
そうじゃなくて、女性があるいは働きあるいは育児し、そして買い物もしおしゃべりもし、そして女性としての性質を生かした、男を同じことをするという男女共同参画みたいないかがわしいものではなくて、
女性が母親として、女性として妻として、そういう社会ができないかっていうことですね。
男性が女性を強く愛せる社会の重要性
やっぱり私は男性が強く女性を愛すること、これが非常に基本ですよね。
家族のためを男性が思うこと、女性もその中で自分勝手だけではなく、やっぱり女性が周囲とも調和をしてやるという、そういう基本的な社会構造はどういう社会構造なのかと、
いずれにしても戦後日本国憲法で定めた資本主義の社会では、男はいいんですが、私は、日本国憲法を作る時に女性の幸せは考えてなかったと思うんですね。
そこまで考えが及ばなかったと思うんですね。
こうして戦後70年経って、若い女性が本当に走り回り不幸であり不安定であり、いろんな点で悩んでいる、それをやっぱり汲み取るような、そう言った憲法改正が必要なんではないかと思います。