安全と安心は異なる
2つ問題があります。
1つは、安全と安心は違うというやつですね。
これは全くナンセンスで、安全であれば安心なんですね。
安全というのは安心を作るための必須条件なんですね。
だから、安全であるかどうかということが問題であって、安全であれば安心するということですね。
フランスの原発が安心されている理由
例えば原子力で言えば、フランスの原子力がそうですけれども、パリのセーヌ川の上流には原発が2つある。
それからロワール川のワインの産地の上流には、20発の原発がある。
だけどそれを何でみんなが平気かと言ったら、安全だから安心してるんですよね。
だから基準の決め方なんですね。
基準をしっかり決めて、これ以下なら安全ですよということがいったん決まれば、それで安心しないとこの世の中は生きていけないんだという、科学的な考え方ですね。
かつて病気は悪霊が起こすと言っていて、それを信じていた人もいるんですけれども、まるでそれと一緒のような感じがしますから、日本の安全議論というのは、本当に中世の安全議論を私は聞いているような気がするんですよね。
日本人が一切安心できない理由
例えば、1年1ミリシーベルトという制限があったら、それを簡単に専門家が覆す、もちろん覆せば安心は得られませんよね。
だって安全であるという根拠を壊してしまうわけですから、それはやっぱり安心は得られませんよ。
それは当然なんですけど、そういうことで、この問題は安全と安心というのが切り離されてしまってるという、非常に日本の後進性というものを表している、
それが結果的に福島の農家の人がベクレルを表示できない、表示できないから風評被害が起きる、風評被害を期待しているような福島の農家の方、及び自治体の行動であるということが1つ、挙げられますね。
バカのくせに日本国民をバカにする行政とメディア
こういった日本の後進性というのを、どうしたら今後よくしていくかということと、もう1つは庶民を、国民をバカにした行政とメディア。
メディアはよく私に、そんなことを言ったらみんなが動揺しますと言うんですね。
私がいつもそこで切り返すのが、メディアの人は動揺しないのに国民は動揺するんですかと聞くと、みんな黙ってしまいますね。
つまりメディアの人は上から目線で、俺たちは偉いから情報があってもうろたえないけれども、多くの国民は情報があったらうろたえると、こう思うわけですね。
この2つが風評被害をもたらしている、私はそのように思います。