米国ペンス副大統領の衝撃的な演説!遂に始まった米中対決で激変する世界!武田邦彦

戦後に日本が米国に受けた洗脳教育の悪影響

日本は戦争に敗れて、戦争が終わって、アメリカ軍に占領されて、かなり厳しい教育を受けたものですから、

それ以来日本人の、特に大人、さらに言えばお子さんとかお孫さんを持っている大人、この方々が日本の防衛、日本の将来、国際的な情勢をあまり考えなくなりまして、

最近ではテレビでも不倫の問題だとか、そういったお笑い芸人が出て説明したほうがよくわかると、そういう話題に終始しておりまして、私たちの子供とか孫が本当に厳しい世界を乗り切って、現在の私たちが享受しているような豊かな社会、

これは私たち自身が作ったのではなくて、我々のおじいさん、おばあさん、お母さん、お父さんが頑張ってくれて作ったものを我々は今享受しているわけですから、そういう努力をしているかということで、私は大変に危惧しているわけです。

メディアが報じない米国ペンス副大統領の衝撃的な演説

一方、世界は非常に激変しておりまして、それは戦争の前と全く同じです。

最近、ペンスアメリカ副大統領が演説をいたしました。

大変な過激な演説で、しかしそれはペンス副大統領の個人の意見ではなくて、アメリカが全体としてこれからどういう舵を切ろうかとしているということでありまして、特に対中国ですから、日本としては非常に大きな影響を及ぼす演説であります。

しかしこのペンス演説ですら、ほとんどニュースにも、またバラエティ番組にも取り上げられず、外国では非常に大きな話題になっておりますが、日本は少しレベルの低い、申し訳ないんですが、少しレベルの低いマスコミのために広まらないわけですね。

今度のペンス演説は、これまでの大きな演説に匹敵するようなものだと私は思います。

世界を分けたチャーチルの鉄のカーテン演説

それは戦争が終わった後、戦争はドイツ、日本、イタリアなどの数十国に対して、アメリカ、イギリス、ロシア、ソ連、その連合軍が戦ったわけで、アメリカ、イギリス、ロシアは同じ陣営だったわけですね。

ところが戦争が終わった直後、1945年に戦争が終わったわけですが、その翌年の1946年にチャーチルが演説をいたしまして、ヨーロッパのちょうど真ん中くらいに鉄のカーテンが引かれているという、有名な鉄のカーテン演説をいたしまして、

これで一気に、今まで一緒の陣営だったアメリカ、イギリス、ソ連がバサッと分かれまして、アメリカイギリスの西側諸国と、ソ連を中心とした左側の共産国に分かれたわけですね。

極めて厳しい東西対決という図式

チャーチル演説から9年後、ワルシャワ条約機構というのができまして、ヨーロッパの西側にはNATO、北大西洋条約機構、東側にはワルシャワ条約機構という2つの条約機構ができまして、核ミサイルを山ほど作って、極めて厳しい東西対決という図式ができたわけですね。

それから37年間、非常に厳しい東西対決世界というものが生まれたわけですね。

これは我々の日本に住む人にも大きな影響を与えました。

ソ連を悪の帝国と宣言したレーガン演説

1983年、アメリカの共和党のレーガン大統領が、演説を行います。

レーガン演説。

これはソ連のことを悪の帝国と言いまして、非常に危険であるという演説をしました。

この演説をレーガンが1983年の時点で行ったというのは、相手はフルシチョフでしたけれども、中距離核弾頭ミサイルの削減であるとか、そういった東西対決を厳しくしないためのいろんな施策が打たれつつある時でした。

同時にレーガンは宇宙軍の創設も言って、これは実際は実行されませんでしたが、硬軟両面での戦いでした。

スターリン独裁制度で行われていた粛清の数々

一方ソ連は、レーニンが1920年ごろに国を建設した後、もうちょっと前だったかな、その後1945年から50年くらいまでは、計画経済のもとで労働力も十分に供給され、ソ連はどちらかというと繁栄しておりました。

スプートニクが上がったのが確か1957年でしたか、その頃までは、いわばどっちかと言うとソ連有利、共産主義というのはなかなかいいものだと思われていたわけですが、実はソ連の国の中では、スターリンの独裁制度があり、次から次へと粛正が行われ、最初の頃はまだよかったんですが、どんどんどんどん暗くなります。

1980年代 崩壊寸前だったソ連

これはスターリン死後、フルシチョフが後を継いでスターリン批判を行い、世界をびっくりさせた後も、例えばカザフスタンとかそういった南の国に、農業を盛んにするための非常にひどい政策を行って、農業を破壊したりしておりました。

したがって1980年代を見ますと、まだ形式的にはアメリカとソ連というのが、世界の2つの大国でありましたけれども、既に内容的にはソ連は崩壊寸前でありました。

しかし、もともと共産主義というのは、今の中国もそうなんですけれども、自分たちが正しい、共産主義以外の国は間違っている、しかもそれを暴力的に倒さなければいけないという錯覚に、最初から染まっておりまして、

それでソ連も、国内がガタガタなのにアフガニスタンに駐留したりしまして、相変わらず本体がガタガタのまま外側に膨張しようとしていたわけですね。

有名なコミンテルンを中心としまして、共産主義を世界中に広めるんだという固い信念のもとでやっていたわけですね。

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