日本人を収容所に押し込めたアメリカ
前回は、日本からブラジルに行った移民の活躍を例にとって、実は日本人は外国に行かないほうがいいんじゃないか、ユダヤ人と日本人は非常に優れていて、世界のどの民族も勝てない、
だから中国でも反日運動、アメリカでも反日運動が起こって、アメリカでもちょうどヒットラーがユダヤ人を収容したように、アメリカもまた日本人収容所というのを作って、そこに戦争中は全部日本人を押し込めるということをしたんですね。
それはやっぱり恐怖心の表れなんです。
やっぱり自分たちより優れた人たちを警戒するっていうことですから、日本人が、ブラジルの人みたいにおおらかな国なら別なんですが、普通の国に行くと、やっぱり反日が起こるということは確かなんですね。
戦後は工業製品で恨まれた日本
それは実は戦後の工業製品とか、そういうものでも同じで、非常にいろんな国から恨まれたんです。
その1つの先鞭をつけたのが、ホンダがマン島TTレースというもので、優勝したっていうことですね。
このマン島TTレースというのは、日本ではあまりなじみがないんですが、ヨーロッパ人の、言ってみれば命みたいなものなんです。
昔の日本の講道館柔道の講道館選手権みたいなものなんですね。
その地域の魂なんです。
オートバイというのは、非常にイギリス人とかドイツ人が好きなんですね。
フランス人は自転車も好きなんですけど、ツールドフランスというのがありますけど、それは自転車ですけど、いずれにしても、そういう自転車とオートバイが好きなんですよ。
それのレースを競って、大変に国民的に盛り上がるわけですね。
それの頂点に立つのがイギリスのマン島という、ちょうどイングランドとアイルランドの間にある小さな島なんですけど、そこの島で行われたオートバイレース、TTレースなんですね。
世界に圧勝してしまった本田宗一郎
本田宗一郎がバイクを作って、だんだんだんだん性能が良くなってきました。
特に、オーバーヘッドカムシャフト、カムシャフトがエンジンの上にあるという、そういうタイプのエンジンで、非常に高性能を出すようになって、日本のオートバイが非常に売れるようになってきたわけです。
それまでオートバイというのはほとんどドイツのもので、それにちょっとイギリスのものがあるっていうくらいだったわけですけど、そこにまず日本のホンダが切り込んだわけですね。
商売でだんだん良くなってくるのはいいとしても、やっぱりマン島レースに出たいということで、高橋国光さんだったかな、いろんなレーサーが出てきて、最初は外国人のレーサーばっかりだったんですけど、それがホンダの車に乗って、最初はそれほど勝てなかった。
だけど第2回くらいから第6位くらいに入ってきて、それから5年くらい経ったら、1位から6位まで全部ホンダなんですね。
ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダと続くわけですね。
その頃には日本人のドライバーも養成されてきたわけです。
ホンダがそれだけ勝ったかと思うと、今度はヤマハ、スズキと続いて、一時はもうレースと言えば日本車しか勝てない、という状態になったわけですね。
世界でも稀有な日本人の勤勉さと器用さ
それは日本車の技術は非常にいいですし、それから技術がいいばかりじゃなくて、こういったモータースポーツというのは、途中で故障しないこととか、それからちょっとしたタイヤの入れ替えだとか、そういうのを素早くやるとか、全ての器用さとか技術が集中するわけです。
そういう点では日本の得意なところですから、まず真面目さがある、それからきちっと打ち合わせる、それで集団で勝負に臨む、ということなので、たちまちホンダとヤマハとスズキが世界を席巻したわけですよ。