ナポレオンも時代の子である
人間の人生、もしくは個人とか家庭というのを考えたときに、非常に深いものがあるわけですね。
トルストイが、ナポレオン戦争を中心に書いた戦争と平和においては、極めて長い小説ではありますが、その中で彼がずっと描き続けたのが、例えナポレオンと言えども、時代の子であるということですね。
白人の男性だけに生まれた自由という概念
ではこの時代の子、つまりその当時フランス革命が行われて、白人の男性に限ってですけれども、自由という概念が人類にできるわけですね。
それを代弁したかのように、フランスの歴史的な力、個人の力の効用の上に立って、ナポレオンという英雄が登場して、あっという間にヨーロッパにおける古い体制の王政を打破してロシアに至り、そこで敗北して終わりになる。
この大きな歴史的事件というのは、歴史という大きな人類としての流れの中で、あるいは個人というのはどのようなことになるのか、ということを文学的に書いたわけです。
自然科学的に見た生物の正体
この歴史を科学、私は科学、特に自然科学ですから、自然科学という立場から見ると、私は動物、植物もそうなんですが、植物は少し静かなので分かりにくいんですけど、動物というものは、生物というものはと言ってもいいですが、1つ1つの答えが独立しているとは到底思えないんですね。
それは人間においてもそう、ボルボックスにおいてもそう、イワシにおいてもそうなんですが、1匹のイワシというのは、1匹のイワシのように見えるけれども、イワシの動き集団を見ていると、1匹のイワシは集団全部のイワシの中で、1つの細胞として生きている。
つまり、細胞の1つ1つが固体であり、イワシの1匹1匹が固体であり、あるいはイワシの大群1つ1つが、またそれが個体であり、それから海の中にいる魚全体が個体であり、地球全体にある命が個体であり、そして地球と太陽系がまた個体であり、宇宙全体が個体であると。
そういう中で、我々の運命というものが決まっているように、私には思われるんですね。
人間の行動は時代に縛られている
ただ、今のところの科学、物理学では、人間と人間の間の通信手段というのが、あるいはたとえば言語だったり、しぐさといった、非常に具体的なものだけしか発見されていないということですね。
この発見されていないということと、存在しないということは別ですね。
個人個人の人間の間の信号、もしくは日本全体の信号、もしくは日本の中の平安時代からの、平安時代というかもっと昔からなんですが、太古の昔の人からの通信。
これを全部受け取って、私の今日の行動があると私は思うんですよね。
だから、私がもし同じような仲間とか家族と一緒で平安時代に生まれたら、今日の私の行動は違う。
それは科学技術が違うとかそういうことではなくて、私の心を決める要因が違うと私は思うんですね。
特攻隊の若者が非常に勇敢だった理由
だから、ここに特攻隊の写真を載せまして、普通の日本の明るい若者ですね。
これから死ぬとわかっていても非常に勇敢だった。
そしてアメリカの空母に突っ込んでいく。
この1人1人の生身の人間というものと、軍事としての軍艦だとか機関銃と言ったものの鉄の塊との差が浮き彫りになるわけですが、多くの反日日本人は、特効というものを異常なものとして捉えているわけですね。
しかしこれは本当かどうか全然わかりません。