日露戦争が勃発した経緯
日本というのはやっぱり、ずっとなかなか特徴的な国ですね。
日露戦争というのがありましたが、これはロシアがモスクワにだいたい1600年くらい、それから100年ごとくらいにどんどんどんどん、ウラル山脈を越えて、シベリアの地方に出てきて、そしてイルクーツクからウラジオストックまで来て、当時中国は秦がある程度強かったんですが、だんだん秦が衰えるにしたがって、満州の方に手を伸ばしてくるわけです。
一般的な歴史では、ロシアは南に南に出たかったということで、ウラジオストック、東邦の征服という名前を付けた侵略基地みたいなものを日本海側に作るわけですね。
それでもやっぱりちょっと寒いので、清と交渉して満州に軍隊を送ります。
中国や朝鮮の特殊な考え方
中国と朝鮮の人の考え方ってちょっと特殊ですから、なかなか一般の人に理解が難しいんですが、彼らは自分の国とか自分の郷里というのがなくて、今自分がここに住んでいて、そこに住んでいる農民などからできるだけ金をとって裕福な暮らしを送ろうという、そういうふうに考えるわけですね。
ロシアに満州をあげちゃった清国
ですから当時北京にいた清の政府は、かつての故郷、満州なんかいらないものですから、ロシアにあげちゃうんですね。
あげちゃうというか、土地は一応名義的には清なんですが、実効的にはロシアの軍隊が入るわけです。
それで旅順に港を作りまして、世にいう、旅順艦隊というのを作るわけですね。
満州から旅順に行くのは相当大変
これも日本人はなかなか、特にインテリだとか歴史学者もよくわかっていないんですが、旅順艦隊、だいたい満州というのはもともと中国のもので、清のもので、その北から旅順まで行くのは相当大変なんですよね。
だいたい2000キロくらいあるわけですから。
金でロシアに売られる朝鮮
その人の国土の南に自分の軍隊を基地を作って、そこを旅順艦隊というんですから、後にこの満州を日本がとると、ものすごい勢いで日本人が満州国の批判するんですけれども、そんなもんじゃないんですよ、ロシアなんかの考え方は。
中国もそうですが。
それから次にプサンに、朝鮮に交渉するんですね。
その当時の朝鮮は両班というのが支配していて、どうでもいいわけですよ、金さえもらえば。
ロシアから金もらって、いいですよ、プサンまで来てくださいと。
日本に迫りくるロシアの脅威
いよいよロシアとしては、その当時ニコライ2世が皇帝だったんですが、台湾くらいまで行くかと。
そこまで行けば十分に南だから、ということになったわけです。
途中に日本がいますから、戦争になったわけですね。
日本を舐め腐っていた大国ロシア
もちろん、ニコライ2世が言ったように、日本なんかが勝てるはずないじゃないかと。
こっちはバルチック艦隊と旅順艦隊持っているし、日本は大陸の方に兵隊を出したらもう帰れなくなっちゃうから、そんなことはしないよと、思っていたわけですが、海戦になっちゃったわけです。
乃木大将が行ったあり得ない事
そこで乃木大将率いる第3軍が、朝鮮から旅順に向かったわけですね。
細かいことは歴史書に山ほど書いてあるんですが、ここでまた日本が世界ではありえないことをやっちゃったわけです。
それは203高地の戦いとか、奉天会戦がそうなんですけども、日本の陸軍の将兵というのは、殺されても殺されても突撃するんですよ。
だからが負けないんですよね。
今までの戦争の概念は、敵と味方が100人ずつ戦って、敵が20人くらい死んでこっちが50人くらい死んだら、向こうが80人残ってこっちが50人残りますから、こっちが退却するんですよ、普通は。
全滅するということはないですからね。
ところが日本軍は、乃木大将率いる日本軍っていうのは、日本陸軍第3軍、もう機関銃で殺されても殺されても前へ行くんですよ。
そうすると、戦争が変なことになっちゃったわけですね。
負けても勝つ日本の非常識な戦法
つまり、勝っている方が負けるということになっちゃったんです。
例えば1万人と1万人が戦って、日本が5000人死んだ、残り5000人。
相手が2000人死んで、残り8000人。
それでも日本軍が突撃して、最後相手をたたき切っちゃうんですよ。
そうしますと、戦争に勝つっていうのはどういうことなのかっていうのが分からなくなっちゃったわけですね。
実際に、旅順の203高地の戦い、それから全体の陸軍の戦いでは、日本が勝ったんですから。
勝った日本の方が、死んだ兵士が多いんですよ。
こんなことは普通あり得ないんです。