戦争で日本に勝てないイギリス
イギリス東洋艦隊っていうのは、鉄の船ができてから、本当に敗北を喫したというのは、薩摩が最初だと言ってもいいんですね。
のちにこのイギリス海軍は、もう1個敗れるんですよ。
太平洋戦争が始まった途端に、第二次世界大戦で日本が、マレー海戦でプリンスオブウェールズとレパルスを失うということをするわけですから、イギリスはちょっと辛いですよね。
日本には必ず負けるんです。
日本の海軍には必ず負ける、他の海軍には勝つという、そういうことになってしまったわけですね。
それは大変にイギリスとしても残念なことであって、だけどこの時の日本、つまり大清帝国、その当時の中国と、日本と比べると、世界的にはもちろん日本は小さい国ですし、中国はでっかい国ですから、
いくら眠れる獅子と言われても、その力は侮れないと思われていたのが、簡単にアヘン戦争で負けた。
そう思ってイギリスも薩摩藩に入ってきたら、逆に大英艦隊がやられるという恥を受けたわけですね。
しかしこの日本のすばらしさはその後もありまして、その後体制を整えて、軍艦はもう来なかったんですが、交渉に来ました、イギリスが。
戦後処理に。
反日を生んでしまう1つの原因
イギリスとしては当然負けたわけですから、それほど強い要求はできないと思って来たら、島津藩はあっさりと、いやいや賠償金払いますよ、全額払うと、そういう懐の広さがあったわけですから。
日本は長州の四国戦争における高杉晋作だとか、それからこの薩英戦争の薩摩側みたいに、交渉能力も十分にあって、腹が据わってましたから、結局賠償金を全部払うのと引き換えに、イギリスの大砲とか砲弾とか、戦術の方法とかを全部頂いたわけですよ。
そうしますと、今度は島津藩と徳川幕府との間の力の差は圧倒的に薩摩が強いということで、結局明治維新というのが行われて、そしてその後薩摩の人が、ほとんど首相になったり閣僚になったりして、ものすごく栄えるわけですね。
日本というのは、やっぱり昔の日本というのは素晴らしかったというふうに私は思うし、それが反日の1つの原因になっているということですね。