なぜ不倫した有名人を叩きたくなるのか?
不倫などで世間を騒がれているタレントなどの有名人に対して、自分は直接被害を受けていないにも関わらず、「謝れ!」とか「謝り方が甘い!」とかといった、ちょっと言いがかりじゃないかといった程のバッシングがあったりしますよね。
これは、一般大衆はどういう気持ちから、このような行動に走るのでしょうか?
実はこれは、叩くという行動自体に快感があるんですね。
自分が優位にいて、誰か叩いていい人がいる時に、その人を攻撃する事そのものが自体が快楽です
ので。
元々人間に備わっている本能的なもので、結構強固なものなんですね。
これを取り去ることはかなり難しいですね。
謝罪は求めていない
「謝れ!」
という人は叩くための口実が欲しくて言っているわけで、決して謝ってほしいわけではなくて。
謝ったら謝ったで、「謝り方が悪い!」と言ってまた叩くし。
謝らなければ謝らないで、「謝れと言ったのに謝らないとはどういう事だ!」と言ってまた叩くわけです。
「謝れ!」というのは、謝ってほしいわけではないんですね。
人類の繁栄とバッシングの深い関係
人を叩くとどうして気持ちよくなるのかという事を考える時に、私たち人間は社会的な生物であって、共同体を作る事によって生き延びてきた性質に目を向ける必要があるんですね。
共同体を守るためには何をしなければならないかというと2つの方法があるわけですね。
1つ目の方法は、外敵から守るという事。
2つ目の方法が、内部の裏切り者から守るという事です。
内部の裏切り者というのを見つけなければならないので、「あの人はルールに従っていないですね」という人を叩いて、排除しなければいけないわけです。
敢えて排除するという事は、なかなか大変な事だけれども、それに快楽を付け加えてやったら、みんな積極的にやるようになりますよね。
脳が工夫して、「誰か裏切り者を検出して、排除するという事を楽しみましょうよ」という風に、脳が勝手に進化してしまったというそういった流れがあるんですね。
まぁなんか、身も蓋もない、いやぁ~な話ではあるんですが。
ナチやカルト宗教の洗脳の手口
人間にこの快楽があるせいで、週刊誌がバーンと実際に売れたりするわけですよね。
ビックリするぐらい売れて、完売とかしてしまう程ですから。
こういうのは、歴史的に利用されてきたわけで。
ナチとかちょっとカルト教団の一種なんかは、こういうのを利用していて。
裏切り者とか、この人は自分たちを捨ててあっちに情報を売っているというような人を吊るしあげて、みんなで叩く事によって、集団の結束を強めようとしたりするわけですね。
そういった特性を彼らはよく知っていて、使ったりしていたわけです。
政治家などが抵抗勢力を作って、喝采を浴びるといった事もありますし。
ある政治家は、本当に常に怒っていて、その怒り方がなかなかうまい、大衆を捉えるような怒り方で。
言い方も、一言で切って、みんなに分かりやすくしてみたりね。
アンチをドンドン、ドンドン攻撃することで、大衆の支持を得て行くというのがありますよね。
こういった人は、特に大衆が抱えている不満を煽るのが上手で、その不満をこの人のせいだといった構造を、みんなに見せつけるがうまいんですね。
洋の東西を問わず。
バッシングしたい気持ちとの向き合い方
なんだかいやぁ~な気持ちから遠ざかるためには一体どうすればよいのでしょうか?
「この人は悪いよね」と叩きたくなった時には、自分がその喜びに飲み込まれていないかという事を、ちょっと冷静に、一拍置いて考えてみて欲しいんですね。
これが知性の役割なんですよ。
この知性の役割というのは、残念ながら麻痺しやすいんですけれども。
喜びに比べて、理性的である事の方が負担が大きいので麻痺しやすいんですけれども。
「私、今、中毒になっていないかな?」
と、立ち止まって考えてみて欲しいんですね。
ネット社会とバッシングの相性の良さ
後は、ネットの発達というのがやっぱり大きくてですね。
人を叩くというのは、自分も叩かれるかもしれないというリベンジのリスクと裏表なんですよ。
けれども、ネットは匿名性が保持されるので、自分に対するリベンジを考えなくていいんですね。
だから、叩く喜びの方が大きくなりやすいという欠点というか、そういった部分はありますよね。
ネットでのバッシングなどの炎上騒ぎは、人が快楽にどっぷり浸かっている姿を、私たちは見せつけられているんだという風に思うといいですね。
人を叩く喜びに飲まれていないか、知性で確かめる必要がありそうですね。