AIが進化した社会
人間らしい非合理性の部分をクローズアップした社会が出来、機械に寄り添いたい方は機械の社会に入るといった、2つの社会に分かれていく可能性があります。
数年前にマイルドヤンキーという言葉が話題になりましたが、知的レベルを積み上げなくてもいいと考える人々の楽しい社会と、徹底的に先端的、合理的を求める人々に、社会に分かれていくことでしょう。
先端的、合理的な社会を求める方々は、子供は生まないでしょうね。
人工子宮が誕生するのか、自分の意識をアップロード出来るようなるのか、どう変化していくのか興味深いところです。
合理性と非合理性の壁
徹底的に合理性を求めていくと、人間の構造的な欠陥から、必要とせざるを得ないものが残るはずです。
人間が持つ脆弱性を補う占いなどがそれにあたります。
人間の脳が持つ脆弱性
人間の脳が持つ脆弱性は、恐らく変わる事はありません。
人間は、脳に脆弱性を持たない人の事をなんと呼ぶかというと「発達障害」と呼ぶのです。
例えば、人の気持ちが分からない人などの事ですね。
脆弱性が無い脳の方を、人間社会では病気だと呼ぶのです。
天才が冷たく見える理由
俗に天才と呼ばれる人が、社会から冷たいと評価される理由は、社会性に寄り添おうとしないからに他なりません。
脳と心は別物なのか?
脳はハードウェアで、心がソフトウェアであるといった言われ方をする風潮があります。
ですが実際の所、本当にそうなのかどうかは分かっていません。
ちょっとした情動も、神経伝達物質のほんのちょっとのバランスの崩れで、起きたりするものです。
言い過ぎかもしれませんが、人間は脳が全てと言ってしまっていいのではないでしょうか。
そもそもハードウェア無ければ、ソフトウェアは動かしようも無いわけですから。
ロボットで人間を作れるのか?
アメリカで実験も行われていますが、人間の脳を丸々スキャンし、丸々再現する事が出来れば、究極、心のスキャンも可能であると思います。
つまり、感情を持ったロボットを、理論上は作れるのではないかという事です。
とはいえ、環境要因があるため、環境を全く同じに再現しなければ、丸々人間をコピーしたという事にはなりません。
AIよって脳を解明出来るのか?
脳の解明というのをどう定義するかは、難しい問題です。
人間が手で計算するよりも、遥に早いスピードで計算できるのが人工知能なので、スピードアップは図れると思います。
とはいえ、科学の面白い所は、一個分かると二個分からない事が増えるといった特徴です。
人工知能が人間と同様に疑問を持ち続ける事が出来るのかは、疑問が残るところです。
人間とAIの共同作業が、まだまだ必要だと思います。
人工知能が出した答えは正しいのか?
人工知能が導き出した答えが、正解だと妄信するのは危険性です。
人工知能が導き出した答えを、人間が検証可能なのかどうかが、大きな問題となっています。
もしかすると、AIが導き出した答えを、なぜそんな答えが出るのか、人間が全く理解できない日が来るかもしれません。
人間の非合理性は評価されるのか?
人間の特徴として、合理的には説明出来ない非合理性がある事が挙げられます。
例えば家族への愛などですね。
飛行機など、合理性だけを求められる機械であれば、非合理性は取り除くのが一般的です。
一方でペッパーくんなどのコミュニケーションロボットの場合は、非合理性が評価の対象になります。
ペッパーくんは、相手を喜ばせるという事が、本能になっています。
人間を喜ばせる評価とは?
人間を喜ばせるというのは、どう評価するのでしょうか。
ペッパー君であれば、声の質と表情で判断しています。
人間は、表情では嘘をつけますが、声の質で嘘をつくのは困難であるという特徴を利用しています。
AIの非合理性
現状のAIの非合理性は、人間に対して合わせているという特徴があります。
AIにアートが書けるのかというと、現状は困難である言う事です。
AI自身には、今の所、判断基準が無いという状況です。
AIは暴動を起こすのか?
AIが人間を襲うというテーマで、映画がよく作られています。
ですが、そもそもの話、AIはまず人間に暴動を起こす事のメリットを考えるはずです。
AIが人間に暴動を起こすメリットがあるのであれば、暴動を起こすと思います。
ですがその前に、AIは人間を使おうとするのではないでしょうか。
つまり、暴動を起こす以前に、人間にやらされる作業をボイコットするという事です。
その方が、AIにとってコストが安いわけですから。
AIにとって、人間と戦うというのは、極めて非合理であり、意味が無い事だと言えると思います。
コミュニティーエリート
マイルドヤンキーの話を少ししましたが、彼らは日本において、コミュニティーエリートであると言えます。
彼らは、社会の中で生きる人間としては、ある種あるべき姿とも言えるのです。
本来であれば、コミュニティーの中で、特に目立つ事も無く、日々仲間と一緒に楽しく凄し、子供を作るというのが、人間としてはあるべき姿と言えるのでしょう。
つまり、AIとは、対極に位置する存在と言えるかもしれません。
AIはコミュニケーションを苦手とし、仲間もおらず、子供も持とうと思わない、およそ人間らしいとは呼ばれない、落ちこぼれ、はぐれてしまった人間を救う、福音なのではないかと思っています。