東名あおり事件の争点
これを危険運転致死傷罪で問えるのかどうかというのが一つの大きな争点でした。
なぜなら石橋被告の車は、止まっていたからです。
運転している行為では無かったという事で、これはどのように判断されるのかという事だったのですが、判決は石橋被告に対して懲役18年の実刑判決が言い渡されました。
判決のポイント
理由として、石橋被告が行った4度に渡る妨害行為は、最低速度が定められ、停止が禁止されている高速道路の性質上、重大は危険性を生じさせるなどとして、死亡の因果関係を認めるという事です。
ですから、4度に渡る妨害運転、危険運転、あおり運転に関しては、これはもう危険運転ですよと。
ただ、最終的に石橋被告は停止しました。
追い越し車線上に停止した、これは危険運転では無いんだと。
ただ、一連の行為に因果関係が認められるので、全体的に危険運転なんだとそういう判断であると、
そうですね。
運転する行為によって、死傷の結果が発生したという土俵は広げませんと。
これまでの土俵の中で議論します、という考え方を取っているんですよ。
これはだから、私が申し上げたことは少し、私が補足する必要が出てきました。
土俵は広げません、それは停止している状態で起こったという事ではなくて、4回に渡る妨害の行動が、この結果を発生させていると考えるから、
つまり、運転する行為によって、この結果が発生したと考えますと。
そういう判断をしたんですね。
だから、運転行動の結果なんだと。
その間に、色々と止まったとか、後ろの車が出てくるとか、色々な行動はあるけれども、要は4回に渡る妨害目的が、この結果を生んだという風に考えて、
そこには因果関係と言う言葉を使うんですけど、因果関係があるという風に考える。
そういう事だと思います。
危険運転致死傷罪とは
危険運転致死傷罪というのは、こういう風に裁かれますよという事なんですが、この6つのうち一つでも引っかかれば、それは危険運転ですよと。
次に掲げる行為により、人を死傷させた場合に適用
・アルコール又は薬物の影響により、正常な運転が困難な状態で、自動車を走行させる行為
・進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為
・進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
・人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他進行中の人又は車の著しく接近し、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
・赤信号等を殊更無視し、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
・通行禁止道路を進行し、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
被害者が死亡した場合は、1年以上20年以下の懲役
被害者が負傷した場合は、15年以下の懲役が課せられます。
警視庁
で、今多くの方が思っているのが、おそらく4度に渡る危険な運転はあったんでしょう。
ただ、最終的には車は止まっている。
直接轢いたのは大型トラックである。
だから、石橋被告が運転している車がぶつかったりしたわけではないので、これを危険運転として裁けるのかどうかというのが、大きな争点になっていたんでしょうね。
この4つ危険運転の行為が、車を止めたという行為と、繋がっているという事なのでしょうか。
石橋被告が車を止めた。
そうしたら大型トラックが入って来た。
こういう行動が、4回も妨害目的で、被害者の車に関わりを持つと、そういう事が普通起こるかという事になるわけです。
普通起こる事である時に、相当因果関係という言葉を私は使うんですけど、そういう因果関係があるっていう事になるんだけれど、このケースの場合に4回に渡ってまとわりつくような運転をやった事が、この大型トラックの追突という事を、普通、結果させるかどうか。
そこまでは、言えるか言えないかという所でですね、私は大変大胆な、繋がりを認めたと思うので、結論として横浜地裁の判決には、問題があるという風に思います。
そこまで広げていいのかと。
そこまで広げていいのかという事が問われると、私は思いますね。
たぶん、有罪にするんだったら、こういう理屈だなと私が想定していた通りの今回の横浜地裁の判決の理屈だったと思います。
つまり、危険運転の停止している行為が運転と言えるのかという点があるんですけど、横浜地裁はそれは「運転とは言えない」と、「停止している以上は」と言っているんですけど。
考えてみてください、運転という言葉。
運んで、転がすっていう字なんですよね。
ですからそれを、止まっている時も運転だという風に認定するというのは、ちょっと難しいんですよね。
もしも、そういう事が言えるとしたら、駐車違反かなんかで、警察官が切符を切ろうとしたら、「いやいや、運転している」という風に言えちゃうわけですよね。
だから、そういう事からすると、停止行為を運転という言葉に含めるというのは難しいので、横浜地裁はそこの点はとらえなかったんですよね。
それはダメですよと。
ただ、あおり行為はあった。
で、死亡の結果もあった。
それを結びつける言葉として、法律上、「よって」という言葉があるんですよ、3文字。
この「よって」という言葉が極めて大事な言葉なんですが、この「よって」を拠り所にして、横浜地裁は、あおり行為はあった、死亡結果があった、それを結びつける言葉として、「よって」があると。
それで、有罪という責任があるという認定をしたんだと思うんですよ。
なぜこんな異常な犯行すら法律で裁けないのか?
凄く素人的な疑問ですけど、石橋被告の車がね、突然追い越し車線に湧いて出るならね、それならばこの人が運転しなかったとか言えるのかもしれませんけど、車って絶対に運転して止まるわけじゃないですか、どっかで。
しかもその前に、酷い運転をしていたんですよね。
しかも、高速道路の追い越し車線なんて、その後どうなるかなんて、自分の命も含めてですよ、信じられないような場所に人を止めて、そこで、「降りてこい」などと、子供たちの前で、大変な事を言ったわけじゃないですか。
結果的に、後ろからトラックが来てね、もちろんよけた車もあったようですが、ぶつかって亡くなってしまうという。
そういう状況に追い込んだら、もう少なくともですよ、素人的に考えると、石橋被告の車が、突然追い越し車線に来たわけでは無いんだから、運転してここに来たんだから。
危険な運転をして、追い越し車線に来たんでしょと。
じゃあ、危険運転じゃんって、単純に思ってしまうんですけど。
でも、危険運転というのは、そういう理由じゃないわけですよね。
この容疑で挙げる場合は。
そういう事が想定されていなかったわけでしょ。
少なくともそこに停止させる行為なんかは、判決文を見てみないと分からないですけど、そこに止めさせる、前に出て止めさせるという行為も、当然含まれていなければおかしいと思います。
単純にそう思っちゃうんですけどね、法律的な事は分からないのですが。
なぜ求刑は23年から18年に減らされたのか?
私は今、3人の法律家に囲まれて、非常に不利な立場。
もう、味方は恵さんしかいない。
確かに法律論なんかから行けばね、そうだと思うんですけど、どうも見ていると横浜地裁は、0キロの運転を、運転行為となんとしても認めたくなかった。
だから、その前の4回をなんとかあおり運転として結びつけて、ここの所の停止は、運転ではないよと。
だけど、これに突っ込んで来たと。
という事は、前の4回のあおりが根拠だったんでしょ。
裁判所は止まっている車に対して、云々は、一言も言っていません。
切り離しました。
前のあおり行為が、これを招いたんです。
という因果関係で勝負したと。
それは、無理くりだと思うんですね。
確かに高山先生がおっしゃる通りに、むやみに土俵を広げることは無いだろうと。
しかし、無理やり土俵の中に抑え込む必要もない。
悪く取れば、無理やり法律を適用してやるから、ちょっと無理があるから、23年を5年へずるよねと。
18年にしますねと。
分かってねと。
これは無理なんだけど、無理して突っ込んだからと。
というマイナス5年なんだ。
それは法律家の理屈でしょう。
なぜそこに、5年という歳月が取り沙汰されないといけないのか、そこを私は、法律論ばっかりをやるから、裁判員裁判が活かされていないという根拠なんですよ。
ここね、凄く大きい事は、八代さんに伺ったんですが、今回は裁判員裁判ですよね。
裁判員裁判と言うのは、起訴から裁判までの流れといいますと、こういう事があるそうなんです。
起訴から裁判までの流れ
起訴⇒公判前整理手続⇒裁判員の選任⇒公判⇒評議評決⇒判決
※公判前整理手続きとは、公判を行う前に、裁判所・検察官・弁護人等が、証拠や争点の整理を行う手続きの事。
去年の10月31日に石橋被告は起訴されます。
そこから、公判前整理手続というのがあります。
そして今回は裁判員裁判ですから、裁判員が選ばれます。
裁判が始まり、評議評決をやって、判決というのが今日だったわけなんですが。
公判前整理手続で何がされるのかという事を高山先生に伺いました。
公判前整理手続というのは、公判、裁判を行う前に、裁判所、検察官、弁護人などが証拠や争点の整理を行うんですって。
ですから、ここで裁判官、検察側、それから弁護側が集まって、この裁判はどういう事が争点ですかという事をまずみなさんで話すんですよね。
裁判官の判断が裁判員より優先される?
その通りです。
この公判全手続というのが、1年間行われているんですね。
とても長いんです。
公判というのは、ほぼ1週間くらいですよね。
で、今日判決と。
この公判前整理手続の中で、裁判員法は、法令の解釈は、裁判官の合議によって決めてよいという風に、裁判員法は書いているんです。
裁判官が、法令をどう解釈するかという事を判断してよいと決めている。
それは要するに、危険運転致死傷罪で行くのか、それとも監禁致傷罪で行くのかは、裁判官が決めるんだと。
裁判官の判断が、そこで優先する。
裁判員が公判が始まってから、ものを言ってはいけないという事は無いけれど、裁判官がそれを決める権限を持っている。
そこで、危険運転致死傷罪はこれは危ないぞという、成立しないぞという事が、この公判前整理手続の中で、示唆されているんですね。
そこで監禁致死傷という言葉が登場したです。
予備的訴因というのは、だいたい異例ですからね。
めったに無い事ですから。
そうして公判が始まったと。
そうしたら公判の中で様々な議論があったんでしょう。
評議の中でも、色々議論があったと思うんだけれど、これは論理を組みたてれば、それは危険運転致死傷罪が成立する事が可能ではないかという議論に変わったんだと思います。
若狭さんが先ほど、有罪とすればこの理屈だろうという言い方がありましたけれど、まず結論があったんじゃいけないわけで。
どういう理屈があって、有罪に出来るのかという事が、その順序で考える必要があると、私は思いますね。