釈迦、イエスキリスト、マホメットが開いた悟り
しかし、お釈迦様、とかイエスキリスト、マホメットなどといった偉い方になりますとですね、悟りの内容は一体何なのだろうか?
という事で、お釈迦様の人生であったり、イエスキリストなどは前から知っておりましたが、マホメットの事を本で読むなど勉強をしますと、彼らの悟りというのは、私の解釈としては、「DNAに書いてある事が分かった」と。
脳が考えているくだらない事ですよね。
脳というのは、生まれた時は真っ白なものですから、情報が全く無いものですから。
自分が生まれて接したものにだけ依存してしまって、善悪など、この世の色々な事を考えるわけですが。
お釈迦様はですね、完全にご自分で、深く考えられた結果、DNAに到達されたんですね。
DNAというのはもちろん、生物の38億年の知恵が入っているものですから。
もちろん自分の事は考えませんし、身を捨てる事も出来ますし、くよくよもしないで、自分の運命のままに行くわけですね。
これが、イエスキリスト、マホメットと、時代がだんだんと600年ずつ進んでいくにつれて、マホメットが一番極端なのですが、ある時、「神の啓示」という形で、神様の声が聞こえたと。
それをみんなに言ったのが、マホメットなんですね。
イエスキリストは、その中間といった感じです。
これもですね、私は、マホメットがある瞬間に自分のDNAが見えたのではないかと思うんですよ。
それを、「体の中にいる神」というふうに考え、それを神様からの啓示であるというふうに、言われたのではないかと思うんですね。
私は、神様ではなくて、神様というのは人間が作ったものですので。
もしかすると、宇宙には神様がおられるのかもしれませんが、それではないのではないかと思うわけですね。
DNA、つまり、DNAに書かれている事というのは、まさにイエスキリストが言っておられる事はですね、本当にDNAに書いてある事なんですね。
「子供のために命を捨て、群れにために命をすて、自分のためにあまり考えず、深く感謝をして、この世をおくる」
という事なわけですから。
悟りには2種類存在する
ですから、悟りというものには2種類あるのでしょうかね。
本来の、お釈迦様とかイエスキリスト、マホメットのような偉い人が悟った悟りというのは、DNAというものを通じて、人生というものがはっきりと分かると。
つまり、命というものが、一体何なのかという事が分かる。
DNAというのは、命そのものですね。
それにな、頭にある煙のようなもの、頭脳の煙を取り除いて見ているという事ですね。
私の場合は、それよりかは安直な悟りでありまして、自分というものが一体何なのかという事が分かっていなかった。
社会がそうだからそうしてきたという人生を送ってきていましたので、自分の人生は、非常に空虚であるという事が分かったという事ですね。
イエスキリストなどが言っておられるような宗教を通じて、今度はDNAを自分で悟ったのではなく、学んだという感じですね。
もちろん、日本の栄西とか道元とか親鸞とか、そういった日本の偉いお坊さんが書いたものを読みましても、やはり私はDNAの事が書いてあるなというふうに思うんですね。
ですから、それぞれ人によって悟りの内容も違うでしょうし、段階も違うような気がします。
最終的には、お釈迦様とかイエスキリストの悟りが、たぶん一番上位なんでしょうね。
上位であるからこそ、2000年もの間、ずっと生き続けて、人々に価値を見出されていると。
最近でいえば、生長の家の谷口雅春さんなんかのお話を聞いてもですね、深い悟りというものを覚えるわけであります。
なかなか難しいし、面白いと思います。