私の人生がパッと開けた瞬間
よく悟りとか悟ったとかですね、悟りを得るためにというふうによく言われるわけですが。
これは何かと考えますとですね、大変に難しいわけですが。
私が人生で悟ったと言っているのはですね、私の場合ですが、32歳の時にですね、その当時サラリーマンの技術者で、なんか出張命令で、男性3人くらいで、その当時川崎におりましたけれども、東海道線、新幹線もあったと思いますが、大阪に夕方着きました。
通常、大阪につくとですね、男性同士の出張ですから、まずは飲みに行く、女性の所に行くというのは決まっておりまして、その当時、キャバレーというがあってですね、それで自分の母親見たいな年齢の人と、ダンスをするといのがまぁ、普通でしたね。
私はその当時、殆どお酒を飲めませんでしたし、ですが、普通はそういう所へ行くのが決まっていましたし、いつも行っておりました。
私が32歳の時に開いた悟り
ところが32歳の時に、何か行きたくないといいますか、英語の論文を読みたいというのがあり、僕は悪いけど失礼するといういう事で、同僚だけが出ていくという事がありました。
そして、部屋で一人っきりで英語の論文を読んでいましたら、12時を過ぎたあたりで、同僚たちがバタバタと帰ってくる音が聞こえまして。
帰って来たなと思っていながら、私は寝ようとしていたのですが、その時に、ハッと気が付いたんですね。
どう考えても32歳の男性3人が、出張に行くとなると、それは酒を飲みに行ったり、騒いだり、女性の所に行く方が、楽しいに決まっていますよね。
1人っきりで、英語の論文を部屋で読んでいるなんて、変人ですよね。
ですが、私は1人で論文を読んでいる方が、楽しかったと思ったんですね。
部屋で論文を読んでいる方が、楽しかったなぁと思ったんですよ。
その時、殆ど全てが、一瞬のうちにバーンと分かったんですよ。
何が分かったのかというと、私のそれまでの人生は、私の人生では無かったという事に気が付いたわけですね。
なぜ自分で選んだ学校や職場が楽しくないのか?
例えば、一生懸命に勉強をして、大学に受かったにも関わらず、その大学の講義が、休校になったら喜んだり。
自分が望んで、入社試験を受けて会社に入ったにも関わらず、仕事も自分としては技術の仕事で面白いと感じているにも関わらず、会社が休みになるとやっぱり喜んだり。
出張などで、仕事が早めに終わりそうになると、家に早く帰れると思って喜んだり。
別に、家にいる事は、そんなにいい事では無いんですけれども、そう思っていましたね。
食べるものに関しても、サンマがいいのか、ブリがいいのか、自分が一体なにが食べたいのかという事がよく分からず、サンマが200円でブリが600円なら、ブリの方が高いからいいと思っていたんですね。
要するに、全て、世の中が「これがいい」というものが、いいと思っており、自分自身の人生にとって、それがいい事なにか悪い事なのか、楽しいとか、おいしいとか、そういった事は、二の次になっていたんですね。
今でもそういう人はいると思うんですけど、3000円のお寿司と5000円のお寿司だったら、5000円のお寿司の方が美味しいという人がいるんですけど、それは食べてみないとわからない。
あくまでも値段ですからね。
その時私は、「自分は他人に迷惑をかけない限り、自分の人生を歩こう」と思ったわけなんですね。
40代で開けた私の人生
40歳くらいまで、色々とそういった準備をして、40歳ころには体の良くなって来たものですから、それからの私の人生のいうのは、もちろん、他人に迷惑をかけるとか、そういった事ではなく、「自分は自分である」「自分が食べたいものを食べる」「自分が行きたい所に行く」という事が大切であると、義理を果たすことも含めてですね。
そのことによって、私の人生はパーっと開けたわけですよ。
自分が好きで入った会社が休みになったからって、喜んでいた自分はいったい何だったのかと。
そんなに会社が嫌なんだったら、辞めたらいいじゃないかと、そう思ったと。
それが私の悟りでした。
それからの私の人生というものは、比較的、明るい人生でしたね、やっぱり。
あまり人が評価してくれるとか、褒めてくれるとか、社会的名誉を得られるだとか、お金が儲かるといった事は、殆ど私には関係が無くなりました。
ポケットにお金がある範囲において、食べるという事で、私は比較的B級グルメが好きという事もあって、気楽な人生をずっと送ってきました。
結局私は、会社から大学に移ったり、大学も名古屋大学に呼ばれて、またそこから移ったりもしたので、その時に給料が少し下がって行ったのですが。
普通は転職すると給料が上がるのに、給料が下がると言った事があったのですが、そんな事は全く気にせずに、人生を送ってきました。