百田尚樹が語る講演会中止の経緯
講演会が中止に追いやられた経緯を、作家の百田尚樹氏、西村幸祐氏が語られた概略をご紹介させて頂きます。
今月10日(2017年6月10日)に、私は一橋大学のKODAIRA祭という学園祭で講演するという予定がありました。
これは、2016年の12月に決まりましたが、2017年の2月に学園祭の実行委員のホームページに載った時から、色々な各種団体から、中止要請を執拗に行って来ました。
一度、2017年の4月くらいに、実行委員会の方から、ある仲介の方を介して、これは流石に、あまりにも中止要請が凄いので、ちょっともう無理かもしれないという事で、辞める事も考えているという話がありました。
私から、「辞めるな」というような事は言えないので、主催者側が決めたらいいという感じで。
これのやりとりがしばらくあったようですが、最終的に4月終わりから5月くらいにやっぱりやるという事で、何としても、学生たちが、言論弾圧には屈せず、暴力などにも屈せず、何としてもやるという事で。
私はそれを受けて、ツイッターで「偉い」と。
学生なのに、なかなか勇気がある行動だと褒めていたのですが、
それでも結局、中止しろとの要請があまりに凄くて、その結果、2017年6月2日の夜に中止が決まりました。
この中止が決まったのは、私は、ツイッターで見て知りまして、連絡がないと思ったけれども、翌日連絡がありました。
決まったのは夜の8時頃だったようで、ギリギリになって、やっぱりもう無理だと。
無理だった理由は、色々とホームページに書かれてあるのですが、その中に、非常に重要な文章がありまして、それが、
「本講演会を安全に実施するために、郁恵にも審議を重ね、厳重な警備体制を用意しています。ですが、それがあまりにも大きくなりすぎてしまった」
厳重な警備を用意しなければいけないくらい、学生たちは恐怖を感じたという事なんです。
要するに、脅迫を受けていたという事です。
かつての、連合赤軍事件が終止符をうったように、大学という場所は1960年代の末期から1970年代の初期の頃、暗く閉ざされた言語空間で、暴力的な空間だった時期があります。
その時代に戻してよいのかという事です。
この動きや流れを見ていると、当時を彷彿させるものがあります。
昔は、そういった大学のフェスティバルというものは、全て、極左などの極端な政治主義の過激派などが全部牛耳っており、その自治会費などを、全て懐に入れ、それを活動資金としていた時代があります。
街中で、火炎瓶を投げたりといった活動の、資金源になってたのです。
今はそういうものも無くなり、一般学生が、そういった事をやれるようになった。
だからこそ、今回の百田尚樹さんの講演会が、イデオロギーに関係なく、ごく普通に「ぜひ話を聞いてみたい」と学生が思い、そういう事になったわけです。
それが、そのような政治主義により潰されたという事と同様の事ですからね。
私の事ですので、あまり大きな事を言うのは変かもしれませんが、私はこの事件を非常に重要な事だと思っています。
日本には当然、言論の自由があり、表現の自由がある。
ですが、反対派の彼らはこういっているんですね。
これは、完全なレッテル張りなのですが、
「百田尚樹は人種差別主義者である」と。
そして、
「人種差別主義者である百田尚樹には発言をさせない」
と言ったわけです。
こういう人物は大学での発言を許さないと。
そして、実際に圧力で封じてしまったわけです。
今回の私の講演のテーマは
「現代社会におけるマスコミ」
です。
ですから、人種差別とは全く関係がない。
私は今までにも何100回と講演を行っていますが、人種差別をしたことは一度もありません。
私の過去に話した講演内容を知っている、だから「あんな講演は聞きたくない」いうのであれば、まだちょっと理由も分かります。
ですが、そういう講演は一切しておらず、今度の講演のテーマも現代におけるマスコミで全く関係がない。
それにも関わらず、
「百田尚樹は人種差別主義者であるから」
という完全なレッテル張りによって、こういう人物は発言させないと圧力をかけて、発言を封じてしまう、これこそが言論弾圧ではないかと。
これは本当に恐ろしい事です。
普段の彼らは、言論の自由であるとか、表現の自由であるとかを、非常に強く主張するわけです。
ですが、もう彼らに、そういう事を主張する権利はありませんね。
これを簡単に言てしまえば、全体主義なんですね。
全体主義が徐々に、忍び寄ってきているという事を意味するわけです。
言論弾圧を細かい定義で言えば
「時の権力が、民間の人々の言葉を封じる」
という事ですけど、現代の言論弾圧は違います。
今は、暴力を示唆する民間の団体が、今回のような方法で言葉を封じてしまうような状況なのです。
こういう話になると必ず出されるのが、フランス革命の時のヴォルテールの有名な言葉です。
「私はあなたの意見には反対だ」
「けれども、反対意見をいうあなたの権利は全力で守る」
といったような言葉ですね。
要するに、これが全体主義にさせないための最終ラインといいますか、防波堤なんです。
ところが、この防波堤が崩されたら、あとは全体主義しかなくなってしまいます。
それは、ファシズムなんですよ、本当に。
私の講演に対しては、4ヵ月近くにわたり、執拗な圧力が続いたそうです。
仲介の人を通して聞いたのですが、びっくりすような、凄い事が起きています。
反対派は、
「百田尚樹の講演を聞いて、ショックを受けて自殺をするかもしれない」
脅してきたというのです。
そして、
「もし、自殺者が出たら、実行委員会はどう責任を取るつもりか」
と脅してきたというんですね。
沖縄で反基地運動をやっているような極左過激派集団の言いがかりに似ていますね。
これは、ある意味、非常に卑劣でグレーゾーンなのです。
暴力を振るえば完全に恐喝になるのですが、「自殺するかもしれないよと」脅しをかけている。
かなり、プロの手が入っていますね。