伊藤美誠のスランプと敗北
一方で、リオ五輪で大活躍した伊藤美誠選手は、2017年、大スランプに苦しむことになります。
オリンピックを目標として頑張って来ていた、緊張の糸が切れてしまっていたのかもしれませんね。
格下の選手にも勝てない試合が続き、平野美宇選手が最年少優勝を成し遂げた2017年の日本選手権では、5回戦で敗退するという、対照的な結果となってしまいました。
伊藤美誠さんがはじめて味わった、この大きな挫折と悔しい思いが、伊藤美誠さんをスランプから目覚めさせるのです。
中国に勝てるという確信
伊藤美誠さんは、小学6年生の時に書いた作文に、
「2016年にはオリンピック出場し、2020年には団体優勝し、個人戦で優勝したい」
と綴っています。
つまり、伊藤美誠さんの目標ははっきりとしており、
「2020年の東京五輪に代表として出場し、団体戦、個人戦共に優勝する」
という事が目標なのです。
伊藤美誠さんが低迷している間に、子供の頃から切磋琢磨してきたライバルの平野美宇さんが、大躍進し、中国のトップ選手3人に勝利し、世界一の称号を手にするまでになりました。
子供の頃から何度も対戦し、勝利した事もある平野美宇さんが中国に勝利した事で、美誠さんは、自分も中国に勝てるという事を確信したはずです。
また、中国選手に勝つために何が必要なのか、高い知能を持つ伊藤美誠さんには、はっきりと見えたはずです。
リオ五輪でやり切り、燃え尽きた期間を終え、スイッチが入った伊藤美誠さん。
「次世代のリーダーは私だ」
と言わんばかりの、大躍進が始まります。
自分を変える若さと潔さ
平野美宇さんと同様に、伊藤美誠さんも自分の卓球スタイルを変える事を決断します。
今までの伊藤美誠さんの卓球スタイルは、足を止め、テクニックで対応する卓球スタイルで、「省エネ卓球」などとも呼ばれていました。
高い技術があるからこそ、このような卓球スタイルが可能だったです。
伊藤美誠さんは、この「動かない卓球スタイル」から「動く卓球スタイル」への変化を求めたのです。
動く卓球スタイルに変化するためには、足腰や体幹を強化する必要があります。
美誠さんは、トレーナーの指導の元、ジムでのトレーニングを開始。
ボクシングにチャレンジしたり、練習場の近くの公園でのトレーニングなども行って来ました。
その努力は、徐々に、目に見える結果として表れるようになります。
早田ひなとのダブルスで銅メダル獲得
伊藤美誠選手のトレーニングの成果が徐々に結果として表れ始めたのが2017年6月の世界卓球選手権のデュッセルドルフ大会。
シングルスでは、ベスト16で中国の朱雨玲選手に敗れてしまうものの、ダブルスでは、2000年生まれで同い年の早田ひな選手とコンビを組み、見事銅メダルを獲得します。
16歳同士のコンビでの銅メダルの獲得は、史上最年少での快挙でした。
2017年の8月に出場したワールドツアー、ブルガリがオープンでは、シングルスで準優勝。
石川佳純選手と組んだダブルスでは、優勝という結果を残します。
同じ月に行われたチェコオープンでは、シングルスで石川佳純選手に勝利し優勝。
早田ひな選手とのダブルスで優勝し、2冠達成と、シングルス、ダブルス共に、着々と結果を残しはじめます。
足腰のトレーニングで、フットワークが強化された伊藤美誠選手は、左右に振られても体の軸がブレる事が少なくなり、スマッシュやドライブショット威力が、目に見えてアップしている事を感じられるようになりました。