韓国人の学生から頂いた質問
韓国の国会議員が竹島に上陸するなど、なにかと話題の竹島問題ですが…
アメリカ留学中の韓国人の学生のユンさんという方からこんな質問を頂きました。
私が、青山さんに聞いてみたいものはこれです。
私が朝鮮半島でいうと独島(トクト)、竹島問題についてはよく分かりません。
私が感じるのは、もちろん韓国人ですから、独島が韓国領土だと信じたいですが、そうではない可能性も考えます。
竹島が韓国の領土として、また、日本の領土だと断定しません。
なぜなら、両方の証拠と根拠を、全て見ていないからです。
だから、私は青山さんに聞いてみたいです。
日本の独島、竹島の主張に関する根拠を私におっしゃってください。
それでこそ、私も、両国の主張を論理的に理解して、また他の人たちに論理的に説明が出来るからです。
竹島が国際的に日本の領土でしかあり得ない理由
といった質問を頂きましたので、竹島がなぜ、日本の主張だけでは無くて、国際的に見て日本の領土でしかあり得ないのかという理由をお答えさせて頂きます。
まず、ユンさんは韓国で、独島、竹島は韓国領土だったという話を受けたと思いますが、ユンさんの質問は非常に正直に書いてあって、まぁ、本当に無条件にそう思おうとしているだけだ、という事が書いてあるのですが。
まぁ、普通ですとね、日本の江戸時代に、竹島に流れ着いたところの、韓国の、今の言葉で言えば漁民の人が、日本の殿様と謁見をしたと。
その時にその竹島が、当時は、対馬と言ったはずですけれども、韓国のものだと認めさせた、なんて事がですね、実際に韓国には、書いてある教科書があります。
私は、ソウルでその教科書を見た事がありますが。
これは、もう無茶苦茶な話で、当時の日本の殿様が、漂着した外国の漁民に会う事はあり得ませんので、まず、ここからがもう既に嘘なんですが…
江戸時代、竹島は日本の漁場
まず、その江戸時代を踏まえてですね、日本はこの江戸時代も含めて、この竹島を主に漁場として活用してきました。
そのうえで、1905年、明治38年に、日本政府は正式に、竹島を島根県に編入しました。
その時を、今も島根県は、ちゃんと竹島の日として、最近は国際社会に発信しているわけですね。
2月22日
そして、今、韓国側はどう言っているかというと、侵略戦争の始まりなんで、この決定は無効だと言っているんですね。
韓国の度重なる虚構の始まり
ですが、そもそも、日韓併合は、その5年後の1910年、明治で言うと、もう明治43年になっています。
そもそも時期が合わないのと、ユンさんにも理解して欲しいのですが、日本は韓国と戦争した事がありません。
で、これは、豊臣秀吉による朝鮮討伐と日本側が呼んでいるものとは、全く話が違う事であって。
日韓併合の真実
すなわち、当時の大日本帝国と一緒になったのは、大韓帝国です。
大韓帝国と日本は、戦争したことがありません。
従って、これは西洋諸国が、アジアに対して行ったような、植民地戦争を日本が仕掛けたのではなくて、当時の大韓帝国の首相閣下と、日本の代表がちゃんと条約を結んで、つまり、日韓併合条約という条約を結んで、日韓併合時代が訪れました。
従って、ユンさんも間違いなく、日本が植民地支配したと教わったと思いますが。
実は、大韓帝国の当時の判断、もちろん、色々な解釈がありますけれども、北から朝鮮半島に南下してくるところのロシアの脅威を考えると、同じアジア人の日本と組んだ方が、得策だという判断は、間違いなく背景にあったと思われます。
そして、実際に日本は、日韓が一緒になった時に、例えば、酷い統治を行ったかのように言われていますが、歴史的事実を公平に見ると、全くの逆です。
例えば、帝国大学をソウルに作りましたけれども、武力でインドを植民地にしていたイギリスは、オックスフォードやケンブリッジと同格の大学を、インドに作ってくれましたか?
そうじゃなくて、あのガンジーさんも、イギリスに留学をせざるを得なくて、そして、留学生として帰って来た時に、インドを支配していたイギリス人から、列車の中で酷い目に遭わされて、そこで独立運動に目覚めていったという歴史的経緯があります。
ところが日本は、東京帝国大学や京都帝国大学と同格の大学をソウルに作ります。
すなわち、当時の大韓帝国は、皇帝陛下の非常なご苦労もあったけれども、なかなか改革が進まず、改革を進めて行って、今のユンさんもお使いになっているところのハングルも含めて、つまり、当時の韓国の大韓帝国の人々というのは、識字率、つまり文字を知っている割合が、非常に低かったんですね。
その事を日本がむしろ憂いて、大韓帝国のエリートたちは、難しい漢字をそのまま使っていて、それが差別の元になっていて、民衆がそれを学ぶ事が、そもそも難しいという事がありました。
従って、日本統治の時に、日韓併合の状態で、確かに統治者は日本でしたけれども、その使いやすいハングルというものの普及をはかった。
つまり、帝国大学と同列の大学によって、朝鮮民族のエリートを育成すると同時に、庶民の人々がハングルを使えるような下地を作って行ったのは、実は、日韓併合の時代なんですね。
韓国将校も事実関係を把握している
これは、決して、僕が日本の立場で、言っているわけではありませんよ。
これを、アメリカとかイギリスとかフランスで話した時に、反論できる歴史学者は、実はいないんですね。
ソウルでもこの話をいっぱいします。
「うわーっ」と大騒ぎになりますが、後でメールでやり取りをしたりすると、これは伏せてくださいと言いながら、調べてみると、事実関係はそうだったっというのを、敢えて申しますが、今の現役の韓国軍の将校からも、実は頂いております。
立場が悪くなるから、名前とかは申しませんけれども。
話を元に戻すと、だから、侵略戦争の発端が、1905年の竹島の島根県編入だった、という事自体が本当は間違っているんですね。
韓国は戦勝国ではない
1905年にそれがあって、その40年後、1945年に、日本は戦争に負けました。
日本は戦争に負けた事によって、台湾や、朝鮮半島は、日本から離れました。
それは、事実の通りです。
その後、実際、何が起きたかというとですね、これはね、ユンさん、アメリカという自由の地にいますから、英語の文献を中心に、よく調べてみてくださいね。
その文献で、おすすめの英語の文献、ユンさんはおそらく英語が出来るでしょ。
ラスク書簡というのがあります。
ラスクさんというのは、当時のアメリカ国務省の幹部です。
この方が、韓国に宛てた、公式の書簡、私的なものじゃない、この実物が、National Archives(ナショナルアーカイブズ)
ユンさんもご存知ですよね?
ワシントンDCにある、アメリカ国立公文書館、ここに現物が保管されています。
リクエストによっては、その現物を見る事も可能だと思いますが、そのコピーは、間違いなくアメリカ国内にいると、見る事が出来ます。
このラスク書簡の中に、そもそも、竹島は日本領という意味は明記されていて、それと同時に、その背景にある考えとして、韓国は、戦勝国では無いという事を、アメリカははっきりと示しているのです。