福沢諭吉の脱亜論
福沢諭吉が、脱亜論で、悪友との交友を謝絶せよという主張をしたんですけどね、やっぱり、あれがね、もう付き合いたくないというような気持ちだった。
付き合うか、付き合わないかという事を考えながら、決めた後で、やむを得ず付き合わなければならなかった場合に、どう付き合うべきかを、その時考えるべきではないかと思うわけです。
日本もそういう時代があったんですね、付き合わなかった時代が。
逆に、付き合わない方がよかった時代もあったと思うんですね。
脱亜論と大アジア主義
日本人の信条として、脱亜論的な発想もありますけれども、もう一方に大アジア主義という発想もあります。
やっぱりね、近代日本の方に、2つの対極的な考えがあって、脱亜論というのは、要するにアジアの国々と、あるいは諸民族と付き合わないという考えに対して、大アジア主義というのは、付き合わないんじゃなくてね、アジアの諸民族と、一緒に何かをやろうというのが大アジア主義なんですね。
だから、これは全く逆の考え方なんですね。
大アジア主義か、脱亜か、2者択一の場合はどうした方がいいかというのはね、やっぱり、日本人はずっと考えて来たんですね。
じゃあ、結果的にどうした方がいいかと、付き合った方がいいか、付き合わない方がいいか、今がまさにそれを考える時期ではないかと思うんですね。
どうするか、日本人が決断しなければならない、それを考えるいい時期ではないかと思うのです。
中国人に限らず、中国と韓国は一体、どのような国で、どういう風にすればいいかという事も、これから、考えなければならないでしょうね。
尖閣諸島の問題だとか、竹島の問題、状況は違いますけれども、現実的な力で影響を及ぼすものと、あとは、歴史認識の問題もあるとは思うのですが。
プロパガンダに負ける日本人
そういうところもあるんだけれども、やっぱりね、日本人も日本も、今のところで一番考えなければならないのは、結局プロパガンダの方、宣伝の方に、数と量で負けていると思うんですよ。
確かに日本は、歴史から見ても、国際法から見ても、どの方面から見てもですね、日本の方が正しくても、結局、宣伝の方で負ければ、どうにもならないと思うんですよね。
竹島の方もそうだし、対外的な協力も、対外的なPRの方も、日本は足りないと思うんですね。
尖閣の方は、もっとですね、中国側が強い姿勢だと思うんですけれども。
尖閣に対する台湾の立場
よく日本で誤解されているのがですね、台湾は中国と一緒に、尖閣問題をどうのこうのというような考えが多いんだけどね、実は、これが誤解だと思うんですね。
台湾には大体3つの考え方があって、例えば李登輝の考えとしては、尖閣に関して、主権は日本だと。
それで、台湾が求めるのは、漁業権というような考えもあるし、野党側、馬英九側で、また違うんですね。
ですから、台湾の考えは、中国と一緒という考えは、これは間違いだと思うんですね。
台湾内でも、3つの考えに分かれているわけですから。
中国人と台湾人の違い
台湾は、風土的にはね、海洋国家だから、そういう所もあるし、半島や大陸と、違う所も多いのではないかと思います。
例えば、同じ反日教育を、台湾もね、韓国と中国に負けないくらい、我々の小学校や中学校の頃には、反日教育を受けてきたんだけれども、国民党政権下で。
ですが、台湾でいくら反日教育を教えても、逆効果なんですね。
そこが、やっぱり台湾と中国の違いではないですかね。
台湾人の気質
台湾は、よくなんというか、誤解されているのは、台湾に住んでいるのは殆どが漢民族ではないかと、
中国人では無いかと。
ですが、事実はそうじゃなくてね。
大体、非常にね、言語と文化の複雑な多民族国家なんですね。
例えば、私の住んでいる田舎の方でも、隣り近所は、殆ど言葉が通じないんですね。
私の住んでいる所でさえ、そうなんですね。
だから、隣に家などに遊びに行ったら、同じ遊び仲間が、通訳してくれるんですね。
中国、韓国は日本が羨ましい?
日本人が、想像以上に学んできたんですよね。
一番誤解されているのが、漢字ですね。
漢字は、あたかも中国が日本に教えたとか、あるいは、韓国が日本に教えた、というような錯覚があるんですが、実際はそれはね、昔はそうだったんだけどね、近代になってからは、逆に日本から、韓国と中国の方に、逆輸出したんですよ。
大概、幕末と明治維新の頃で、新しく作った和製漢語。
要するに、当時作った漢語というのは、近代用語として、あれが無いと近代用語が出来ないほど、今でも、中国の方も、韓国の方も、使われているんですね。
例えば、今現在の、中華人民共和国の憲法の中で、使用している文字の中で、日本で作った和製漢語が、約80%くらいなんですね。
伝統的な中国の漢字、漢語というのは、実は、そんなに多くないんですよ。
中華人民共和国の、「人民」も「共和国」も、実は、日本で作った和製漢語なんですね。
そういう所は、案外と誤解が多いんですね。
そもそも、韓国がですね、中国に一番近づいてきたのは、約600数年くらい前の李朝時代からですね。
昔の高麗朝時代というのは、モンゴルの影響が強かったんですからね。