数学者の父
私の父は明治生まれでですね、まぁあの学者でしたけど、数学者だったんですが、まだ、武士みたいな人でしたね。
家族とは隔絶しているんですよ。
家族は、私の母親を中心として家族が形成されていてですね。
おやじっていうのは、なんか奥の方にいてですね、もう話も出来ないと。
それで時々、私は名前が、邦彦っていうんですけれども「邦!」とかいって、呼ばれてですね、「これをしろ!」といわれたら、それをハイと言ってやるという。
まぁ、そういうおやじだったわけですね。
世間的な栄華も何にも求めておりませんで、今の学者と全く違います。
ワインとかそういうのには、全然興味が無いんですね。
数学だけなんですよ。
それでまぁあの、時々は付け届け(贈物)が学生とかから来ましてね、例えばあおの当時一番高いお酒で、ジョニーウォーカーの黒ラベル、なんていったのを学生の親が持ってくると。
そうすると、うちのおやじは日本酒しか飲まなかったものですから、
「そんなものはいらないから、肉屋にくれてやれ」
って、そんな感じの人でしたね。
まぁ、世間的な事は、何にもしないんですよ。
あの頃は、背広を作るときに、体のサイズを測らなければいけないものですから、じゃあどうしていたかというとですね、おやじが寝るとですね、おふくろが、そおっと洋服屋に電話してですね、洋服屋が寝ているおやじの寸法を測っている、というのを見た事があるんですね。
男と女の違う役割
まぁね、凄かった時代でしたよ、やっぱり、日本人の男っていうのがね。
武士では、もちろんありませんよ、普通の家でしたからね。
もちろん、女は女で、非常にしっかりしていたんですよ。
だけど、女性のしっかりの仕方、つまり、家庭を守るという意味での女性のしっかりとした考えとか態度とかですね。
男性で、例えば数学者であれば、本当に数学一筋なんですね。
もう、数学だけに興味がある、そんな感じなんですね。
父が残した遺訓
その父が、色々な事を僕に教えてくれたんですが、そのうち、今の私でも凄く引っかかって、困っているものがあってですね。
それが、
「邦、お前、生きている間に、評価されては駄目だぞ」
「生きている間に、評判がいいとか、偉くなるとか、そういう事があってはいかん」
「死んでから30年経って、評価されるような人間になれ」
って、いつも言われたんですね。
で、どういう意味なのかと言うと、例えば偉い人でダーウィンとかガリレオなんて人がいますよね。
そういう人たちというのは、生きている間というのは、みんながまだ理解してくれないんですね。
考えが先ですから。
つまり、今の人たちが、「あぁ、素晴らしい人だな」と思うのは、今の人たちが理解する範囲に留まっているからなんですね。
ですから、突然、「地動説」ですとか、突然、「進化論」なんて出てくるとですね、今でも疑問に思っている人がいるくらいなわけですから、それはもう、出て来た当時は、非難轟々なわけですね。
テレビでいつも迷う理由
私がテレビで解説する時にですね、いつも迷っているんですよ。
私なんかね、もっとつまらない迷い方なんですね。
自分が正しいと思っている事を言ったら、評判が悪くなるんですよ。
これはもう死後30年とかいうのではなく、それよりもっと喫緊な事でしてね。
例えば、リサイクルの時、
「リサイクルをしたら余計に資源を使う」
と言った時に、ある先生が、
「武田先生、1対300ですね」
って言ったんですよ。
私の考えに賛成する人が1人、反対する人が300人なんですね。
ですから、
「リサイクルはあまり意味がありませんよ」
なんて言ったって、評判が悪くなるばかりですね。
ダイオキシンの時もそうでした。
「ダイオキシンの毒性は弱い」
なんて言ったらですね、総叩きにあってですね。
それで、家を少し引っ越した事もあるんですけれども、そのようなバッシングを受けたわけですね。
メディアが作り上げた架空の病気
それは、今となっては、ダイオキシンの毒性が弱いという事は明らかで、ダイオキシン騒ぎが終わった時から、ダイオキシンの患者さんは出ていないんですからね。
あれは、架空の、メディアが作り上げた架空の病気だったという事は、今はもう分かっているわけですね。
医学的にも、レセプターとかそういうのがどういう状態かという事は、分かっているわけですね。
これはだけど、私が生きている間に、こうなりましたね。
森林は二酸化炭素を吸収しないよ、といった初歩的な事とか。
北極の氷が溶けても、アルキメデスの原理で海水面は上がらないよ、とか。
非常に、中学校の理科のような事を言っても、バッシングされたわけです。
まぁ流石に、10年くらい経つと、なんとなく理解はしていただけているわけですが。