日本獅子奮迅の働き
北清事変で、北京で匪賊や清軍から襲われるイギリスの司令官クロード・マクドナルドの元で、日本軍は必死に戦いました。
その働きを見て、まともなのは日本軍だけであると、イギリスの司令官クロード・マクドナルドは、他7ヵ国の軍と比べて見る事が出来ました。
それでも、いつまでももつわけはありません、そんな小さな軍隊で、連合軍で。
それで、開放しなければならない。
ところが、ドイツからであろうが、フランスからであろうが、アメリカからであろうが、大軍を送るには距離が遠すぎるんですよ。
近いのは、ロシアと日本だけ。
ロシアは今ぞとばかりに大軍を下ろしてきました。
それで、イギリスとか他の国はですね、日本にも出兵してくれと言うんですね。
日本は遼東半島、遼東還付でですね、下手に口を出すと、また「領土的野心がある」なんて言われて、取り戻されちゃ嫌ですからね。
もの凄く躊躇するんですけれども、正式に、イギリスの外務省からの要請があって、最初は福島安正少将、この人は、1人で馬で、モスクワからシベリアを通って帰ってきたという剛の者ですが、この人が天津を攻めます。
太沽砲台(タークーほうだい)なんかも日本軍の独り舞台ですね。
占領してしまいます。
それから、追っかけて、広島の第5師団が出兵します。
まともに戦ったのは、殆ど日本軍だけなんですよ。
それで、北京を開放し、清国政府はそこで降参するわけです。
日本人を尊敬するシナ人
それで、北京を占領して、8ヵ国の国が分担して、治安維持にあたるわけですが、どこの国の兵隊も泥棒なんですよ。
当時のイギリス兵でもね、お土産に持ってきたようなものでも、みんな盗むんです。
ロシアなんかは、本当に強盗が入ったのと同じなんですね。
ところが、日本の区域だけは、完全に大丈夫だったんですね。
それで、シナ人たちは、日本人を恐ろしく尊敬するようになるんです。
天津なんかではですね、とにかく日本の旗を出しておけば、ロシアが来ないという事で、日本の旗を出すというような事もありました。
イギリスを苦しめたボーア戦争
それを全部まぁ、世界中が見ていて、特に、イギリスは、「これだな」と思ったらしいのです。
というのはですね、イギリスは丁度、この北清事変が起こった頃に、南アフリカでボーア戦争というのがありました。
ボーア戦争のボーアというのはですね、百姓という意味でね、オランダ語で。
南アフリカのオランダ人植民地だったところです。
そこで農業をやっておった人たちをボーア人と言っておったわけですね。
ところがそこでね、ダイヤモンドなんかが発見されたもんでね、まぁイギリスが欲しくなった事もあってね、そこでイギリスの植民地に合併しようとしたわけです。
それで、ボーア人と戦って、まぁ4年間くらい戦って、イギリスは莫大な被害を出したけれども、なかなか収まらなくて、やっとの事で収まりをつけるというね、世界中から、イギリスの陸軍はあんなにアホか、と言われるくらいね、恥をかいた戦争をやっていたわけです。
それは、イギリスが初めてゲリラと戦ったという事で、大変だったわけですが。
まぁ、チャーチルもね、その時、出てね、命からがら助かっているという報告書かなんかを書いています。
チャーチルという男はね、しょっちゅう戦争に行ってはね、殺されかけて逃げてきてね、それを書いて儲けた男です。
まぁ、イギリスとしてはね、陸軍はね、もう遠い所は戦争は出来ない、とそう考えたんですね。
イギリスは、あの、ナポレオン戦争の時まではウェリントンが率いて戦いましたけれども、あれはベルギー辺りで戦っているわけでしょ。
すぐ先ですよ。
ところが、アフリカの先だと、勝てないんですよ、なかなか。
日本軍に目を付けたイギリス
相手は土民でも、いわんやね、その、アジアではね、明らかにロシアが下りてきている。
これにかこつけて、満州を征服しているんです。
そして、遼東半島は前から貰っていますね。
遼東半島を含め、北朝鮮まで含めて、ロシア領になってるんですよ。
あとは、彼らは下りてくるのは、朝鮮半島に下りてきて、更に黄河の流域まで下りてきて、ひょっとしたら北京まで取るかもしらんと。
これが、当時のイギリスの恐れです。
しかし、イギリスは止める力がないんですよ。
陸軍を送るわけにはいきませんので。
そこで、この北清事変、拳匪の乱の時に、ダントツ、どの専用の軍隊よりも規律正しく、勇敢で、戦争がうまかった日本と同盟を結んだらどうか、というのが1902年の日英同盟なんですよ。
日英同盟こそは、コロンブス以来ですね、有色人種と白色人種の間に初めて結ばれた、平等の軍事条約です。
初めて、400年ちょっとぶりですか、初めて、平等の軍事同盟が出来ました。
というのは、日本はね、サァーっと引き上げたんです。
その、解決するとサァーっとね。
引き揚げ方が綺麗だったんで、感心されたわけです。
満洲に居座るロシア
ところが満洲から、
満洲と言うのは、今の中国の北部と言われている所ですね。
満洲に居座ったロシア軍は引き揚げない。
それで、各国がやいのやいの言ったもんでね、「3回に分けて引き揚げます」と言って、1回目はちょっと引き揚げたんですけど、2回目から後は居座りで、むしろ兵隊を増やしているんですよ。
それで、日本も世界中から口撃するんですけどね、聞く耳もたないんですよ。
どっちみち、どうする事も出来ないわけですから。
先進国は、アジアに陸軍を送って戦争するわけにはいきません。
ロシアだけは地続きです。
そうすると、抗議はしても、ロシアが聞かなきゃ、どうにもならんのですね、これは。
日本も抗議に抗議をやりますが、聞く耳を持たない。
それで日本は、日清戦争の時から、どうしてもロシアとは戦わなければならないと腹は決めておったんですが、伊藤博文だとかですね、井上馨とか、慎重派がいましてね、最期までロシアと話し合わなければならないというわけで、ロシアに出かけて行くんですよ、伊藤博文なんかは。
なんとか、満洲で止まってくれと、満洲で止まれば日本は我慢すると。
朝鮮までは下りないでくれ、とこういうわけなんですね。