日本人の覚悟
それで、臥薪嘗胆という言葉が現れるのですが、
「今度はどうしてもロシアと戦争になるな」
というのはですね、みんなに分かるわけですよ。
なぜこれらを返させられたのかも、みんな分かるわけです。
それであの、臥薪嘗胆という言葉がありまして、昔のねシナの歴史で、呉と越の国で、最初に負けた方が恨みを忘れないように薪の上に寝た、それから仇を取られた方が今度は、肝を抱えて毎日舐めて苦い思いをして、復讐したとかいうね、臥薪嘗胆というんですね。
薪の上に寝て、肝を舐めるという、我慢する事をそう言うんですね。
臥薪嘗胆して、
「次はロシアだ」
とみんな思ったんですね。
結婚を我慢した日露戦争の勇士
ですから、日露戦争の勇士たちも、結婚しない人が多かった。
10年後はロシアと戦争をしなければならない、その時未亡人は作りたくないというね。
だから、日露戦争の時の軍神として仰がれました、広瀬武夫海軍中佐ですね。
この人も、その理由で結婚しませんでした。
それから、遼陽会戦で、陸軍の軍神として仰がれた橘周太中佐、彼も結婚しませんでした。
いずれも、死ぬ覚悟だったんですね、10年後には。
それは、大変な、ロシアが来るという事は、ひしひしと感じていたわけです。
八甲田山 死の行軍
それで、いわゆるその八甲田山、死の行軍もそうなんですね。
冬の八甲田山をまわるという訓練をやって、大変沢山の兵隊さんが死んだことがありましたが、あれも敵が青森に上陸する可能性があるという事と、それと戦場はうんと寒い所になるだろうという2つの理由からですね、雪の中の軍事訓練をしなければならないという事で、やったわけです。
そのときに、まぁあの、不用意に出かけたこっちから回った人たちは、全滅くらいに死んだわけです。
そうではない方から回った人は、非常に注意深い大尉で、この人はいわゆる士官学校を出なくて、共同学校から下士官から上がった人ですけど、非常に注意深い人で、全員無事に帰ってきているんですね。
この人なんかも、全部日露戦争がらみの訓練で、この成功した人も、日露戦争では、黒溝台会戦で壮絶な戦死をしています。
いずれも日露戦争がらみの10年間が始まるというわけです。
朝鮮の独立
その間に起こった事で、何が重要かと言いますとですね、朝鮮が独立したことなんですよ。
清国が引き上げたわけでしょ。
それから、前から日本は、「朝鮮は独立させるべきである」「独立国である」と言ったわけだから、独立したのです。
それが面白いですね。
多くの人が指摘する事を忘れている事ですから、ぜひあなたにも覚えておいて欲しい。
それは、朝鮮という国はですね、1392年か、1391年かに、李成桂(りせいけい)という人が、明を建てた朱元璋(しゅげんしょう)皇帝から貰ったわけです。
朱元璋が当時の高麗国をぶっ潰したんですね。
その時に手柄を立てたのがこの、李成桂という朝鮮人なんですが、この人が明の皇帝から
「よし、お前よく戦った、朝鮮半島をくれてやろう」
という事で、あの半島を貰って、朝鮮と言う名前まで貰ったんです。
李成桂という人は、高麗を潰す手先になった、朝鮮人の軍人です。
だから、明の皇帝から朝鮮半島を貰った。
朝鮮と言う名前も貰った。
だから、習慣も年号も、全て明と同じになっているわけです。
だから、朝鮮の年号というのは、ずーっと明国と同じなんですね。
それから、試験制度もみな同じになりました。
というような事で来たわけだけれども、日本との戦争でシナが手を引くことになりましたので、独立したわけです。