日清戦争 講和条約で取得した権利
それでも、日本が取得した権利と言うのは非常に素晴らしかった。
それはまず、第一条項がね「朝鮮の独立を認める事」なんですよ。
それから、まぁ色々あるんですけどね。
そのうちで、「台湾を貰う事」
台湾と澎湖諸島(ほうこしょとう)を貰うんですね。
これは全然、清朝は惜しがりませんでした。
清朝っていのは元来満州族で、騎馬民族ですから、東の海の島なんかは、元来罪人を流す島ですからね、あんなところは化外の地(けがいのち)だからってんで、惜しげもなくくれたんですよ、台湾は。
で、台湾を実効支配したことは無いんですから。
台湾の島が、大陸の政府に実効支配されたことは一度も無いんです。
まぁ、そういう所ですから、日本はまぁ頂きました。
それから重要なのはね、関東州を貰ったんです。
そうすると日本としましてはね、旅順、大連というね、ロシアが凍らない港として欲しがる所は抑えた上にですね、その根元の関東州というのも貰ったわけです。
この関東州というのはですね、意外に大きいんですよ。
満洲全体から見れば大したことは無いんですけどね、日本の感覚からいうとかなり大きいんです。
それで、日本は非常に喜んだのはね、ここがあればロシアが当分出てくることが無くなったという事とですね、人口問題が殆ど解決できるくらいの広さ何ですよ。
だから日本は非常に喜んで、締結したわけです。
それから、2億テールだったか、とかいう賠償金も貰いました。
ところがですね、この交渉が成り立つやいなやですね、即、それは清国に返しなさいという圧力が来たんですよ。
三国干渉 清国に今すぐ返せ!
それが、ロシアとドイツとフランスから、これを三国干渉というんですね。
これには国民が怒りましたですね。
ところが、伊藤博文は当時ですね、珍しく外国に情報網を持っていたんですね。
それで、アメリカの方がったかイギリスの方だったか、ようするにアングロサクソン系の情報からですね、それは返した方がいいという情報を貰う。
というのは、ロシアは既にね、軍艦を用意していると、そしてドイツがそれに参加し、フランスもそれに参加する、共同の艦隊司令長官は、ロシア人にもう決まっていると、提督の名前までわかっていると。
だから日本が拒否すれば、直ちに日本に攻めてくると。
日本軍は、みんな北シナの方に行っているわけです。
本州には、軍隊もなければ海軍も無いわけです。
だから、ボヤボヤしていると本土に上陸されるぞ、という情報を貰うんですね、伊藤博文は。
それでこれは、返すよりしょうがない、と。
で、返す事になります。
国民はそんな事は知りませんからね、カンカンに怒るわけです。
それでね、分かっているのは天皇陛下とか政府の首脳なんですね。
国民をなだめる遼東半島還附ノ詔勅
それで、国民をなだめるためにですね、
明治28年5月10日、遼東半島還附ノ詔勅というのが出るんです。
まぁ、向こうが降参したわけですからね。
清国皇帝に頼まれて、日本の総理大臣と向こうの代表と話させて、そして両国の講和の条約を締結せしめた。
それで、色々貰ったわけですね、台湾とか。
なのにですね、ちゃんと条約を結んだのに、ロシア、ドイツの両帝国及びフランス共和国は、日本帝国が遼東半島を持つ事をね、永久に持つことは、東洋永遠の平和にならないといって、3つの国が、代わる代わる日本政府にそれをしなさいと言ってきたと。
てなことを仰ってですね。
だから、まぁ仕方がないという事を色々と書いてあります。
国の大きな計画を間違えさせないために、まぁ静かにしなさい、というようなね、わざわざ詔(みことのり)が出て、国民もですね、そういうことかと、まぁ納得したわけです。