世界の現実を知った岩倉使節団
それでも、当時、世界をまわって帰ってきました岩倉使節団の人たちですね、大久保利通だとか木戸孝允だとか伊藤博文だとかは、先進国のあまりにも凄い発達ぶりを見たもんで、とにかく今は外国なんかとやっている場合ではないと。
今はとにかく日本は、富国強兵、国を富まして、兵隊を強くするよりしょうがない、それをやらないと植民地になってしまうと。
世界の情勢がよくわかったんですね。
で、西郷隆盛は、自分の意見が入れられないので、九州に引っ込んでしまうと、薩摩に引っ込んでしまうという事があって、西南戦争と言う悲劇があったわけです。
口ほどにもない朝鮮の実力
ところがですね、変な事でですね、パッと朝鮮と国交が開きました。
それは、江華島事件というんですが、やはり仁川のあたりなんですね。
日本は予め、日本の旗を送っておきまして、こういう旗をつけた船が来たら日本の船だから、その時は、水だとか食料だとか、そういうのは売ってくれと、まぁこういう事で、言ってあったわけです。
それで、日本の船が行きましたらですね、やはり、向こうがいきなり撃って来たわけです。
こちらも軍艦だったものですからね、撃ち返してですね、コテンパンにやっちまったんです。
そうしましたらですね、驚いちゃってね、あっという間に、日本との外交交渉が開けましてですね、条約が結ばれたんですよ。
だから、あの国は、ゴツンとやらないと分からないのかなと、いうような感じでもあります。
本当におかしいんですよ、その親分がちゃんと国交を結んでいるのに、ごねてたわけですからね。
まぁ、日本が舐められておったといえば舐められておったし、向こうはたまたま、アメリカの小さな軍艦を焼き払ってみな殺しにした事、フランスの船が攻撃に来たけれどね、それが浅瀬に乗り上げて追い返されたこと、それで自分たちは非常に強いと思ったのかもしれません。
いずれにせよ、日本のわずかな小さい軍艦一つで、向こうはあっさり降参しちゃったわけです。
というのが、そもそもの始まりであります。
本当に恐ろしい国はロシア
それで日本の方はですね、とにかく一番怖いのはですね、日本は国を開いて、世界中の状況がよくわかりました。
怖いのは、ロシアだけ、という事がよくわかったんです。
世界中をまわってきましたね、岩倉使節団も。
色んな情報も、どんどん入ってきますね。
そうしますと、イギリスもアメリカも最初は黒船でね、フランスも同じように見ていたんだけれども、この国は日本に対して領土的野心は無いと、これがよく分かったんですよ。
要するに、貿易とかなんかをやりたいだけであって、国を取ろうとか島を占領しようとかそういう気はない、危険性が無いと、こう見たわけです。
ところが、ロシアだけはある、という判断に達したわけです。
事実ロシアは、着々と侵略を続けている。
そして、その目的の先はですね、冬も凍らない港、不凍港というんですね、これにある。
当時、ウラジオストックはもう取っていましたけれども、ウラジオストックという名前はご存知のように、ウラジオーストックっていうんですね。
「東方、東を取れ」という町の名前なんですよ。
だから、更に東っていったら日本列島ですね。
それから朝鮮半島、それを取れという目的の港でした。
ところが、ウラジオストックは、冬、凍るんですね。
だから、冬季は船が動けない。
それで、何が何でも冬も凍らない港が欲しい、となると朝鮮半島、遼東半島その辺ですね。
その辺に出てくる事は、ひしひしと分かっておったわけです。
朝鮮の近代化を求めた理由
ですから、日本だけが近代化したってね、朝鮮がロシアに取られてしまえば、もの凄く危険ですから、朝鮮の近代化を求めたわけです。
そのためには援助を惜しまないという事をやったんですけれどもね、それがまぁ、そう思っている向こうの人もいました。
しかし、ひっくり返るんですね。しょっちゅうひっくり返るんです。
うまくいきそうになったらですね、また今度は反対革命が起こっちゃう、革命というほど大袈裟じゃないけれども、宮廷の勢力が変わって、日本の大使館が襲われて、30人くらいが殺されるといった事もありました。
まぁ、その時は日本も交渉しましてですね、賠償金も当時の金で50万円とかね、とかなんとか色々あるんですけれども1~2回取りまして、あとは取れませんでした。
そして、他の物を寄付しました。
だから日本は、賠償金は取ったけどですね、むしろ持ち出しにして解決してるんです。
その時にですね、ゴタゴタが起こる度に、清国が兵隊を送ってくるわけです。
日本ともそういう事が色々あったりしてですね、結局、お互いに兵隊を入れる時は、了解を得て入れる事にしようよと、清国と日本が話し合ったわけです。