【日本の歴史】真実の日清戦争!日本と中国が戦った理由!渡部昇一

北清事変

そんな事をやっている時にですね、1900年にいわゆる北清事変というのが起こりました。

英語で言うと、Boxer Rebellion(ボクサー・レベリオン)ともいうのですが、拳匪の乱(けんぴのらん)といいますね。

西洋の勢力を追っ払えという運動を起こすんです。

扶清滅洋(ふしんめつよう)というんですが、まぁスローガンだけはうまいんですなぁ、いつも。

清国を助けてね、西洋を潰せというわけです。

大暴れしまして、そして、北京も囲まれてしまって、そこにいた8ヵ国の人達、みな殺されかかるわけです。

で、これは初め、やっているのは匪賊(ひぞく)だと思ってたらですね、当時の清国の実権者でありました西太后が、清国の正規軍も動かし、西洋人を追っ払おうとしてたんですよ。

それで、天津もあぶなくなるんですね、北京にいた人はみな殺しにされかかる、大変な事になりました。

これが大体1900年頃です。

日本軍の強さを知った英国司令官

そうしますとですね、誰が助けに行くかという事ですね。

北京の城内には、8ヵ国くらいの先進国がいたわけです。

その中に、日本もいたわけですが、自分たちで守らなければいけない。

で、必死に守るんですね。

司令官になったのは、年の順から言っても、国の格から言っても、イギリスがダントツですから、イギリスのクロード・マクドナルドという人が司令官になりました。

そして、他の7カ国の人がみんな協力してですね、北京をとにかく守ろうと、90日間くらい守ったんですよ。

その時に、マクドナルドが見ていますとね、頼りになるのは日本軍だけ。

日本の兵隊はですね、ごく少数なんですけれども、いつも規律正しくニコニコしてですね、勇敢であって、危ない所に日本軍が行けば守る。

相手は匪賊でありね、清国軍が助けているんですけどもね、烏合の衆なもんですからね、本気で守ればそこは破れないんですよね。

まぁ、日本が一番大変だったんですが、柴五郎という中佐がおりまして、少数で徹底的にやりました。

他の国は殆どあてにならない、それをよく、マクドナルドは見てました。

このクロード・マクドナルドが後で日本に対する公使、当時はまだ大使ではありませんが、公使になって、この人の恐らく報告で、2年後に日英同盟が出来たと思うんですね。

日本軍の働きを見ていたんですね。

それは、8ヵ国の先進国の駐在軍がみんな戦って、まともだったのは日本軍だけだったというのは、比べて見れたわけですね。

続きはこちら ⇒ 【渡部昇一の日本の歴史】真実の日露戦争!なぜ日露戦争に踏み切ったのか?

こちらの記事も一緒によく読まれています。

最後にフォローをお願いします。最新情報をお届けします。

コメントを残す