ジョン万次郎の数奇な運命
ジョン万次郎という人がいるんですよ。
これは、土佐の浪士で、難破しましてね、太平洋を彷徨って、アメリカの捕鯨船に助けられた。
みんな助けられたんですけど、このジョン万次郎という青年は、進取の気性がありましてですね、みんなとただ助けられてボヤってしていないでですね、アメリカ人の船員に交じって、一生懸命仕事をしたり、言葉を覚えたりしたわけですね。
それで可愛がられて、結局船長に連れられて、今のニューイングランドに連れていかれるんですよ。
そこで向こうの商船の学校でしょうね、その学校に入りましてね、なんでも、最優等になったらしいです。
そして船長の娘さんかね、とにかくちゃんとした立派な娘さんと結婚をしました。
だから、キリシタンの昔はいざしらず、近現代となってから、白人と結婚した日本人第一号がジョン万次郎なんですね。
このジョン万次郎という人は非常に優秀な人で、たちまち言葉もマスターして、アカデミーといっていましたから、相当高級な学校ですよ。
大学ではないんですけどね。
そこを出まして、太平洋で鯨取りをする。
そこで、船長が死んだとき、代わりといって、船員に推されて船長にまでなっているんですよ。
だから、本当に向こうの事が分かっている人だった。
日本に戻ったジョン万次郎の働き
でも、最終的には日本に帰りたくてしょうがない。
土佐にまだお母さんが生きているはずだという事でですね。
それでも、いきなり帰ったら鎖国で何をやられるか分からないという事で、最初沖縄に上陸するんです。
沖縄というのは薩摩領ですから、薩摩に捕まって、というか捕まえて貰ってですね、薩摩の島津公の所に連れて行って貰う。
島津斉彬は聡明な人でしたから、話を聞いたらですね、知識の正確さが、今まで聞いた人とは桁違いなわけですジョン万次郎は。
そこで幕府に報告し、幕府に行くんですよ。
英語は出来るし、なんでも出来る。
あまりに出来過ぎてですね、「スパイだ」「近づけるな」などと、水戸の殿様なんかは言ってですね、結局表には出なかった、万次郎は。
しかし、情報だけは正確に幕府の一番上の方に伝わっていたようです。
「アメリカは日本を取る気はありません」
と。
実際、ジョン万次郎は当時のアメリカの大統領にも会った事があるんですよ。
それで、カリフォルニアの金山も見ているんですね。
で、
「今のアメリカはアメリカの国内の事で手一杯で、他の国を取ろうという気は一切ありません」
と。
だから、そういうつもりで、幕府の方は交渉すると。
だけど、そういう事は、みんなにはバラしませんのでね。
他の人には分からない。
幕府の最高機密としてやっているわけです。
そして、ペルリ、ペルリといっていましたけれども、
「ペルリではなくあれはペリーなんだ」
と。
そういう、つまらない発音まで直したりね。
だから、向こうの交渉をしている時は、彼は必ず後ろにいて、それを聞いて後でやったに違いない。
表の通訳の話が色々出ますが、あれだけ正確な外交が、日本の当時の幕府に出来るわけが無いんですね。
非常に緻密な交渉をやっているわけですよ。
尊王攘夷の空気
ところがですね、これが武にたった国ですから、武士の国ですから、日本の武力と向こうの武力を考えて、今は戦えないとすぐに判断して、技術導入に切り替えていたわけです。
ところが、武の政権であったという弱みはですね、武で立っているのに、誰から見ても外国から脅されてペコペコしているわけです。
そうすると、
「けしからん」
と言う声が、沸いてきたわけですね。
沸いてきた時にですね、一つ間違ったのが、当時の老中、阿部伊勢守ですかね。
非常に優れた人ですけどね、なだめるためもあったかですね、開国方針を朝廷に尋ねるという、そういう決断をしたんですよ。
これが、幕府の側から見たら大変な間違いだったんですよ。
鎖国したのはね、徳川家ですから。
「鎖国止めました」
と徳川家が言ってもよかったわけですよ。
そこをね、なんか朝廷に伺わなきゃならないような、当時の雰囲気になっていたという所が重要ですね。