世界が驚いた日本の伝統
この、外国から入ったものを、すぐに吸収してですね、より高いものを作るという能力は、仏教伝来以来、日本の伝統となっているわけですけど。
それが、徳川時代はですね、島原の乱というのがあって、キリシタン、バテレンというのがありましたんで、それを抑えるためもあって、自然科学的なもの、それから、近代工業的なものを抑えたんですね。
徳川幕府がひっくり返っちゃ困ると、こういう事なんですね。
徳川幕府と言うのは、国家と言うよりは「徳川家」という事を第一に考える所から出発した政権でありました。
例えばですね、徳川家の蔵書ですね、これはあくまでも徳川家の蔵書であって、国家の蔵書ではない。
書物でもですね、なんでもみな、徳川家、なんですよ。
関心が、徳川家、なんですね。
まぁ、それで自然科学や、もちろん鉄砲の研究もですね、抑えると。
キリシタン、バテレンという形で抑えたわけです。
当時の日本の数学は世界トップレベル
ですから、抑えなかった方は進むんですよ。
数学なんかは無害ですからね、いくら数学が進んだって、徳川幕府がひっくり返る事はありませんから、これは抑えません。
そうしますと、丁度ライプニッツやニュートンと同じ頃、関孝和という人が出て来まして、この方が方程式を解くことを考えます。
弟子になりますと、これが微分のところまで行くわけです。
大体もう、全く向こうと関係なく、ニュートン、ライプニッツのレベルまで行くんですよ。
向こうの方はですね、ニュートンもライプニッツも刺激しあってあそこまで伸びているわけです。
日本は、全く孤立でですね、そこまで行っているわけです。
数学だけは、誰も止めませんのでね。
ですから、明治維新になりました時に、明治政府はとにかく自然科学を習わなければならんという事で、外国人講師をいっぱい入れたわけです。
数学だけはですね、困っちゃったんですね。
数学だと、日本に来るくらいの先生だと、日本の学生より出来ない。
だから、菊池大麓みたいな一番できる人をケンブリッジに送りました。
そしたら、向こうですぐに一番優等生になって帰って来るんですよ。
もう、記号さえ変えれば、その程度まで行っていましたからね、いとも簡単だったようです。
数学がそこまで行っているという事は、何をやらしたって出来るという事でもありました。
これが一つです。
だからあの、江戸時代は非常に水準が高かった。
ただ、抑えられていたのが自然科学であり、近代工業であり、これがやりたくてしょうがなかったわけです。